Aは自分の部屋で椅子に座っていた。時刻は深夜の二時前だった。彼はこれから何をしようか、考えようとはしなかった。彼はしかし、まだ眠る気にもなれなかった。そこで、Aは今日自分がしたことを念入りに想い出そうとした。Aは、午前中には自分は本を読んでいた、と回想した。それは事実、確固とした記憶であるように感じられた。Aは小さな口をわずかに開いて、こういった。俺は今日、午前中には本を読んでいたのだ。しかし、彼はそれを実際に口にした瞬間、なんとも気味悪い吐き気に襲われた。Aは午前中にはまだ睡眠していたのである。Aは自分で嘘つきだと思った。彼はゆっくり、自分が今日したことを順序だてて思い出そうとした。彼はまず、本を読んでいる自分について頭の中で思い描いた。その光景は、午前中ではなく、午後だった、とAは頭の中で訂正した。彼は午後に起床して、それからずっと本を読んでいた。しかし、これも彼にとってはおかしな記憶だった。彼はずっと本を読んで今こうして椅子に座っているわけではなかったのである。Aが今日、午後に本を読んだことに関しては疑問の余地はなかった。しかし、起床してから何時間も何も食べずに読んだわけではなかった。彼は何かを食べたし、皿洗いをした気もした。彼は皿洗いをしている場所がどこであったのか、もしもそう質問されると、即座にそこがキッチンであると返答する自信があった。同じようにして、彼は何かを食べた場所を、やはりリビングルームであると思い返すことができるのだった。更に彼はこんな風にも答えることができた。俺が皿洗いをしたキッチンと、俺が何か食べ物を食べたリビングルームは、ほとんど同じ空間なのだ。彼はこれを説明するために、以下のようなことをいうことができた。つまり、俺はリビングルームで食事を終えた後に、その食べ物が乗っていた皿をすぐ近くのキッチンまで運んで、流しにつけたのだ。ここまで記憶を引きずり出して、彼は再び嘔吐感に襲われた。彼は初め、皿洗いをしていた場所としてキッチンを回想したが、皿洗いしていたのは、リビングルームで何かを食べたかなり後であることを今まさに思い出したからである。俺はリビングルームで何かを食べた後、即座にキッチンの流しでその皿を洗ったわけではない。このことを曖昧なままにしておいてはならない、とAは思っていた。二つの行為の間にはそれなりの時間差があったはずなのだ。これを無視してはAは自分が悪者になるような気がした。つまり、リビングルームで何かを食べたことと、キッチンで皿洗いをしたことを並べていうことは、どう考えてもそれが連続しているような印象を自分に与えるのだ。彼は小さな声で、それは記憶の捏造だ、と囁いた。そして直後に、捏造という言葉は明らかに大袈裟だと思った。深呼吸してAは再度本を読んでいたことについて回想しようとした。俺は何かを食べたり、皿を洗ったりしたことよりも、やっぱり本を読んでいたことこそ思い出すべきなのだ。彼は瞼を閉じて、俺は今から本を読んでいた今日の俺についてうまく回想する、といった。実際には彼は、俺は今から本を読んでいた今日の俺に、まではそっくりそのまま口にしていたのだった。しかし、残念なことに、その時Aの前を小さな黒い虫が横切って、彼は途中で言葉をつまらせることを余儀なくされたのだった。言葉をつまらせるということならまだしも、彼は自分の前を横切った小さな黒い虫のせいで、奇妙な口振りをしてしまったのだった。つまり、より正確に彼の今さっき口にした言葉を表すと、次のようなものになるべきであった。俺は今から本を読んでいた今日の俺に……つぅ! いてう……まくぅ! かいそするっ。Aは回想という言葉を不覚にもかいそ、といってしまったことについて恥じた。そして、大きな溜息をついて額に左手の甲を当てた。しかし、それは一瞬の動作で終わった。実際には、彼は左手の甲を額に当てる直前において、本を読んでいるときの自分について思いを馳せていたのであるから。彼はとにかく、今日午後に起床して本を読み、且つ何かをキッチンで食べ、且つその皿をリビングルームで洗ったのである、と整理した。しかし、この整理の仕方が間違っていることを、彼は数秒後になって気付いたのだった。そこで彼は改めてこう整理しようとした。すなわち、俺は今日午後に起床して本を読み、且つ何かをリビングルームで食べ、且つその皿をキッチンで洗ったのである。Aはそう曖昧な記憶の整理をし終えた瞬間、とても心地よい気分になっている自分に気付いた。彼は先ほどの吐き気のような悪い気分をなくし、今はとても素晴らしい澄んだ気分だったのだ。彼は安心して、再び初めからゆっくりと回想を始めようと思い立った。Aはまず、午後に起床して、本を読んでいたのである。それは疑いようのない不変の事実であり、改竄されたり他の記憶に置き換えられたりされてはならないものである。彼は今日、午後に起床して本を読んでいた自分がとても愛らしくなった。それは、実際にあまりにも愛着が沸くものだった。なぜならば、Aは午後に起床して、本を読んでいたからである。午後に起床して、本を読んでいたという自分をはっきり、明瞭に、鮮明に、克明に、不変の事実として、いかなる他者に対しても変わらぬ主張として、美しい記憶の宝物として、可愛らしい想い出の玩具箱として、覚えているからである。Aにはこのことがこれまでの人生で至上の悦びのように感じられた。彼はそこで、この悦びを表現するために、それを口にしてみようと思った。彼はこう叫んだ。俺はまず、午後に起床して、本を読んでいたのだ! それは午前ではない! それは、絶対に午前などということではなく、完全に午後なのだ! たとえいかなる人間が俺の起床した時間帯を午前だと主張しても、俺はそいつに徹底的に反論し、屈服させることができるのだ! 俺は確実に午後に起床して、それから本を読み始めたのであって、午前に起床して本をまったく一頁も読まなかったのでも、午前に起床して本をかなり読んだのでもなく、俺はとにかく午後に起床して本を読んだのだ! それは素晴らしいことのようにAには感じられた。Aは、午前に起床して本を読んでいた自分が仮に存在したのであるならば、完全に彼に勝利したと確信した。Aは嬉しさのあまり、涙をこぼした。Aは実際に午後に起床して本を読んでいたらしかった。Aはもうこれ以上、このことについて考えることはしまいと思った。なぜなら、彼は今、とても至福なのだから。しかし、しばらくして、彼は再び原因不明の嘔吐感に襲われ始めたのだった。それは唐突に彼を襲った。彼は気分が悪くなって、顔が青褪めた。彼は午後に起床して(繰り返すが午前ではなく)、本を読んだ(本を読まなかったのではなく、あるいは、本を読むふりをしていたのでもなく)のだが、今度はどんな本を自分は読んでいたのか、ということについて思い出さなければならないと思ったのである。彼は本を読んでいたという記憶を前提にして、その次のステップとして本の内容について想起する必要があった。しかし、その前に彼はリビングルームで食べたものについて、思い出しておく必要があると思った。Aはこのように考えた。すなわち、俺は今から俺が午後に起床して読んでいた本について話すが、その前に俺はリビングルームで食べたものについて、思い出したいのだ。この瞬間、Aの内部で義務が誕生した。彼はいかなる犠牲を払ってでも、本がどのような内容のものであったかよりも、先にリビングルームで何を食べたか、について回想せねばならなくなった。それは重く、厳しい義務であったが、他方でなんとも愉しい義務でもあった。彼はこの義務を、きっと自分なら達成できると思った。Aは笑いながら椅子の上で揺れていた。まず、彼はこのように考えた。すなわち、俺はリビングで何かを食べたのだ。彼は食べた回数を考えた。食べた回数というのは、Aにおいては口腔内で食物を咀嚼した回数を意味しているのではなくて、朝食、昼食、夕食、夜食のような意味での食べた回数であった。Aはそれを三回にまず間違いないと思った。そしてAはそのどれをも、リビングルームで済ませたに違いないと思った。もしそうであるならば、彼は朝食、昼食、夕食の三回とも、キッチンまで皿を運び、後でまとめて皿洗いしたに違いないと思った。しかし、Aはここで小さな吐き気を催したのである。なぜ今吐き気がまた始まったのかはわからなかったが、きっとそれはあることを思い出したからに違いないと彼は思った。Aは午後に起床していたのであるから、朝食を取った、というのは字義的におかしい。Aは正しく記憶を言語的に掘り起こしたかったので、午後に起床した人間における朝食とは、すなわち午前に起床した人間における昼食を意味するのであろう、と考えた。そこで、彼はこのように考えた。つまり、俺は朝食を取ったが、それは平凡に午前に起床するような人間における昼食を意味している。だから、俺は平凡な人間とは、いささかずれていて、食事回数に相違点はないが、字義的には大きく異なっているのだ。俺の今日の一日において、朝食とは、昼食を意味するが、だからといって、俺が昼食の次に夕食を取るというのではなく、俺は昼食の後にも昼食を取らねばならないのだ。なぜなら、俺において朝食が平凡に午前に起床する人間における昼食を意味しているので、俺は朝食か、昼食か、夕食を、少なくとも二度取らねばならないからだ。ここまでAは考えて、猛烈な吐き気に襲われた。今のままの考え方でいくと、彼は朝食を取り、次にまた朝食(昼食)を取り、そして次に昼食(夕食)を取るということになるような気がしたからである。彼は午後に起床したので、朝食が昼食になるにせよ、なぜ再度朝食を取らねばならないのか?朝食を二度取る必要性はどこにあるのか? Aは確かに午後に起床したが、そうであればそこから食事を昼食(朝食)にしても良いのではないのか? つまり、昼食(朝食)、昼食、夕食でも許されるのではないか? しかしこの場合、( )が後ろに付いてない方の昼食は、果たして本当に昼食といえるのであるか、という問題がAの内部で新たに浮上した。昼食というものは、昼に食べるからこそ昼食であるのに、Aの場合はその昼に昼食(朝食)を取るのであるから、本来昼食は夕食になるのではないか? 次の瞬間、Aの中で価値観が変換された。要約すると、Aは以下のように考えたらしい。つまり、ある男が午後に起床したのである。この男の体内時計においては、まだ一日は朝なので、たとえ外が昼であっても、それはあくまで朝であり、従って昼に取る食事のことは朝食と定義されるのである。以下の要領で、全ての食事の呼称がずれていく。無論、朝食が夕食になることはなく、あくまで朝食は昼食を代替しているのだ。Aがたとえ今日、一日二食を心掛けていたとしても、朝食(昼食)、昼食(夕食)どまりである。しかしAは今日確かに三食取ったと記憶していた。だから彼は朝食(昼食)、昼食(夕食)、夕食(夜食)をきっちり取ったのである。しかし、彼にとって夕食が果たして通常の食事サイクルを持つ人間における夜食に相当するのか、それは疑問であった。なぜなら、夜食というのは夕食後、たとえば深夜に小腹が空いたので何かで埋め合わせるというような感覚で取るものと思っていたので、それを確固たる三食の中の一食に組み入れることが可能なのか、甚だ疑問だったからである。しかしAはそれを強引にもよしとした。別に彼は夕食の下に(夕食2)あるいは、(夕食ニ)、(夕食ⅱ)、(夕食part B)としても良かったのであるが、とにかくこれで彼は自分の食事サイクルとその呼称について、一定の安心を得たのであった。もっとも、それを安心という言葉で終わらしていいのか、Aには判断することができなかった。彼は次に、いよいよ自分がリビングルームで何を食べたか、について思い返そうとした。しかし、Aはある重大な事実に直面した。三食ともてんでばらばらなものを食べていたことを思い出したのである。つまり、朝食(昼食)は1という料理を食べ、昼食(夕食)は2という料理を食べ、夕食(夜食)は3という料理を食べ、といった具合である。1、2、3どれも違うので、一言で何を食べたか、ということは説明できないとAは思った。今、Aの胃の内部では1と2と3が混ざり合って胃液にゆっくり溶かされているのである。しかしそれを足しても1+2+3で6にはならない。なぜなら、胃の中にはもしかしたら昨日の夕食の内容がまだ溶かされきれずに残っているかもしれなかったし、そもそも三食はそれぞれ独立した一食でもあったので、単純に1+2+3=6としてはいけないからである。むしろ、1+1+1=3であるから、三食なのであるが、Aには単純にそう解釈してはならないことも無論解っていた。なぜなら、先ほども考えたように、昨夜の食べ物がまだ胃の中に残っている可能性があるから、この存在を忘れてはならないのである。よって正しくは、彼の胃の内容物における数式は、このような簡単なものに違いないとAには思われた。つまり、1+1+1+α=3+αである。だが、Aがそもそも思い出したかったのは、それぞれの料理の名前であり、何を食べたの? という単純な質問に対する単純な料理の名前なのである。Aは焦燥を抱き始めていた。彼は懸命に何を食べたか、つまり朝食(昼食)は何という料理を食べ、昼食(夕食)はまた何という料理を食べ、夕食(夜食)はまたまた何という料理を食べたのか、そのいちいちの料理名について、想起したかったのである。そして彼はそれぞれの解答が必ず固有名詞になるに違いないと思った。それは例えば、彼が午後に起床してから読んでいた本の表題や著者名についても同じで、やはり固有名詞になるに違いないと思ったのだった。彼は自分の記憶が固有名詞で汚されるのが怖かった。それは、ただなんとなくもう本当に怖かったのである。彼は一日を想いだす時に、その回想を固有名詞を使ってすることだけは避けたかった。なぜなら、彼はそうすることが死ぬほど怖かったのである。彼は自分を安心させ、慰めるために、再度今までの想い出した記憶を整理してみようと考えた。なぜ今そう思い立ったのかと質問されると、彼は返答に窮する自分を知っていた。しかし、彼はやはり、ただなんとなく、今まさに記憶を整理してみなければならないと思ったのである。この点について、彼はもうこれ以上責め立てられたくはなかった。しかし、考えてみれば彼を責め立てる人間など存在していないのであるから、彼は今仮に設定した質問項について不必要であるように感じられたのだった。しかし、それが本当に不必要であるかというと、けしてそうではないようにもAには感じられていた。だから、なぜ今わざわざ記憶を整理してみようと思い立ったのか?という質問をしたのは、むしろ自分自身であって、これは自問というものだとAは考えた。しかし、このような質問をなぜ今自分に対してする必要があったのか、Aにはその理由が曖昧なままでいた。そもそも、なぜ今わざわざ記憶を整理してみようと思い立ったのか? という自問には、自分の内的な対話者として誰かを選んでいるような気もして、どこか薄気味悪かったのである。もしもこの質問が自問でないとすれば、それは自分以外の誰か、つまり他者が自分に対して行った質問になるわけで、返答しなければ相手は困り果てるであろう。だが、今彼の前にはそういった質問者が存在しているわけではなかったので、彼はこの問題に関してはもうこれ以上考えることはないと思った。Aは今、部屋に一人でいるのだから。Aは深夜の二時前、つまり現在、部屋に一人で椅子に座ってるのだから。Aとは、すなわち今日は午後に起床した人間であり、それから本を読んでいた人間であり、リビングルームで三食を取った人間であり、キッチンの流しでその皿をきっちり洗った人間であった。だが、今彼はこうして部屋に一人で、椅子に座っているのである。Aは少しだけ、椅子を揺らしてみた。椅子を揺らす、というのはすなわち、彼が腰を振ってわずかに椅子の背もたれの部分を揺する、ということである。Aは実際に椅子の背もたれを揺らすことができた。それはなんとも心地よかった。Aはしかし、心地よさの内部に何か薄気味悪い吐き気がじわじわと迫ってきていることを自覚していた。自覚していたが、彼はそれを自覚していながら、自覚していないように装っていた。自分に対して、彼はそのような吐き気に襲われそうになっているということはないのだ、と嘘をついていた。彼は自覚しているのだ。彼は吐き気を知っている。彼はこう考えてみた。俺は今日、一日が死ぬほど楽しかった。俺は今日ほど至福に満ちた日を体感したことはない。俺は午後に起床し、本も読んでしまい、リビングルームで三食も取ってしまい、しかもその皿をキッチンの流しで洗ってしまったが、俺はこの一日をとにかく官能できた。俺はこの一日をこれからも大切にするし、宝物のように思うことにしよう。俺は幸せ者だ。俺はあまりに満ち足りていて、嬉しいのだ。なぜなら、俺は今日、なんといっても午後に起床し、本を読み、リビングルームで三食を取り、しかもその皿をキッチンの流しで洗ったのだから。俺がもしも、実際に誰かに(内面的な質問者ではなく、実在するインタヴュアーに)あなたは誰ですか? と質問されたと仮定すると、俺はきっとこう満面の笑みを浮かべて返答するだろう。俺はきっと、こう諸手をあげて、頬を紅く染めて返答するだろう。すなわち、俺は×××である。Aは×××にこそ、今日の自分の行動が入ると信じた。彼は、自分を説明するためには、今日何をしたかを説明すれば良いのだと思った。だから、彼はきっとこう返答するのだ。俺がどういう人間ですかって? 俺は今日、午後に起床した人間であり、それから本を読んでいた人間であり、リビングルームで三食を取った人間であり、キッチンの流しでその皿をきっちり洗った人間です。彼はこれほど素晴らしい返答はないと思った。そして、同時にこれほど吐き気を催す返答はないと思った。だが、彼がもしも実在する質問者にそう質問されてしまうと、おそらくそう答えざるを得ないだろう。なぜなら、彼はそのように返答したかったからだ。そこで、彼は実際に自分で自分に質問してみようと思い立った。つまり、自分で自分に声を出して質問してみるのである。彼はそうすることにした。あなたは誰ですか? 彼はできるだけ厳粛に、礼儀正しく自分にそう質問した。彼は質問内容を、質問される前から熟知していた。なぜなら、彼自身が質問したからである。Aが質問し、Aが返答するのである。だが、彼はこの時、ふと奇妙な感覚に陥った。それを言語化すると、確かに奇妙な感覚、と表現すべきものであった。彼は自分が果たして、本当に今、あなたは誰ですか?と質問したのか、ひどく曖昧になったのである。そこで、彼は再度、こう自分に質問した。本当に、あなたは誰ですか? 彼は実際にそう真剣に質問したのだった。勿論、自分自身にそう質問してみたのである。だが、やはり彼は今質問した声が、自分の喉の奥から溢れてきた声であるのか懐疑的にならざるを得なかった。というのも、彼は自分で出した声が、確かに自分のものであるということは解っていたのだが、その内容を果たして自分が本当に考えたのか、ひどく曖昧だったからである。彼はそこで、このように考えてみた。今、何者かが俺に質問を投げ掛けた。そいつは、聞き覚えのある声でこんなふうにいったのだ。あなたは誰ですか? その後にも、そいつは同じようなことをこんな感じでいった。本当に、あなたは誰ですか? その声は俺の声に限りなく似ていたが、どこか違うようにも感じた。俺に限りなく似ているやつが、俺の声を真似て、俺にあなたは誰ですか? などと質問したのだ。だが、そいつが誰なのか、俺のほうが訊きたいくらいだった。俺はそいつの正体を知らないのだ。Aはしかし、その質問が紛れもない自分の声によるものであるということを知っていた。彼はさっき、自分で自分に質問したのだ。質問内容はあまりに単純だった。つまり、あなたは誰ですか? というものである。Aは返答しなければならない、と思った。なぜなら、その声はおそらく、自分が発したものであるからである。彼は深呼吸して、大きく息を吐いた。彼は再び深呼吸して、大きく息を吐いた。彼は三度目の深呼吸をして、大きく息を吐く前に、このように叫んだ。いや、このように叫ばざるをえなかった。すなわち、あなたは誰ですか? と。