その夜も、ジェイドとジーンの二人はいきつけのナイトクラヴ「Les Deux」で女を誘っていた。二人は金に困っていたが、饒舌に口説けばたいていの女が安っぽい金で脱ぐような生活をそれなりに愉しんでもいた。彼らは共同で安い団地に住み、朝と昼はたいてい連れ込んだ女たちとじゃれ合いながら眠り、夜になるとクラヴのコネを利用してショットバーや風俗店の客引きとして金を稼いでいた。
帰り道、汚らしい酔漢が鼾をかいている横を通りながら、ジェイドは口を開いた。彼の横にはけばけばしい派手な毛皮のコートを着た今夜の女がいて、まるでファッションシーンのような気取った歩き方をしながら色気を周囲に振りまいている。
「何が得意だ? 」
「何でもできるわよ」
「特にオススメなのは? 」
「そうね、ブリッジしながらフェラすることかな? 」
二人の会話を聞いていたジーンが煙草を咥えながら微笑んだ。ジーンの隣にも、ガーターベルトを剥き出しにしたようなコスチュームに身を包んだ、スタイルだけは抜群の若いショーガールがぴったりと寄り添っている。
「なあジーン? 俺がこいつとヤッたら、女をシャッフルしないか? 」
その問いかけに、女たちが秘密めいたクスクス笑いを洩らした。
「ああ、いいぜ。どうせなら四人で乱交といこう。おい、その前にアレをよこせ」
「アレって何だ? すぐに破れるコンドームか? 」
ジェイドが冗談をいうと、ジーンが彼の肩を小突いた。アレというのは、何発女とヤッてもペニスが活火山のように燃え立ったままにさせる注射式の精力増強剤のことだ。これを使って、ジーンは一夜で五人の女を同時に犯した日もあった。
やがてジェイドが小便をしたくなり、一人群れから離れて高架下の壁の方へ歩いて行った。壁には「コンパはやっぱりラリパッパ」とか、女が巨大過ぎるペニスに噛み付いているようなグロテスクな落書きやスプレー状の殴り書きがびっしり広がっている。ジェイドは一物を取り出すと、湯気をたてながら排尿し始めた。ジェイドの軽妙な口笛が高架下で眠っているホームレスたちのBGMだった。
ふと、足元を見ると、何か土を掘り返したような跡があった。何かをここで途中まで埋めていた、という様子である。ジェイドは用を足すとダメージの入ったジーンズのジッパーを上げて、地面にしゃがみ込んでみた。土の中からわずかに覗いていたのは、スーツケースだった。ジェイドは興味本位で土を一気に掘削し、下手な口笛を吹きながらそのケースを取り出した。ケースには鍵がかかっていた。
左右に置かれたそれぞれの狭苦しいベッドで、女が悲鳴をあげている。雑誌の上にそのままジャケットが投げ出されたような男臭い雑然とした部屋の片隅には、先刻のスーツケースが置かれていた。
「ああ、ハニー! 最高だ! 本当に最高だ! 」
どちらの声か最早定かではないが、二人は共通して同じタイミングでイクことが多かった。それまで張り詰めていた部屋の空気が、二人の男の射精によって一気に弛緩した。女たちの歓喜に満ちた嘆息だけが余韻として響いている。ジェイドは女の胸の谷間にベッド脇に飾っていたファンタン=ラトゥールを這わせながら、自分が世界中の女たちを征服したような心持になっていた。湿気でくたくたになっている薔薇の花弁は、まるで緊張を解かれて急に柔らかさを増した女の艶やかな肩のようだ。
三人が寝静まった明け方、ジェイドはスーツケースを浴室でこじ開けた。かなり頑丈な錠がかけられていたが、近隣の自動車整備工場からくすねてきた小道具があればいとも容易かった。中を見てジェイドは視覚的なエクスタシーに襲撃された。それは、見たこともないような札束の厖大な塊だったのだ。
昼前になり、女たちを帰す時、ジェイドはいつもの三倍の金を軽快に手渡した。彼女たちは目を輝かせて、「また絶対来るわ」といって二人に交互にキスをした。だが、ジェイドは最早、この女たちに何の関心もなかった。一つの街の女、全てが自分のものになったような圧倒的な高揚を隠し切れないでいたのだった。
「あのメス犬ども、俺たちに目玉焼きくらい作ってけっての」
ジーンがナプキンで口元についたケチャップを拭いながらいった。ジェイドはそわそわしている。
「おい、何だその顔は? お前、人殺しでもしたのか? 」
「いや、そうじゃない。あいつらが帰るのを待ってたんだ」
「俺に何か話か? 」
ジーンが煙草を二本咥えながら俯き加減に尋ねてきた。
「もうこんな街ともオサラバだぜ、相棒」
「どういうことだ? イキ過ぎたか? 」
「俺もお前も、もう一生金に困らなくて済むって話だ。どうだ、興味あるだろう? 」
「隠し事は俺たちには無しのはずだぜ。話せよ」
そういうわけで、ジェイドは昔から組んできたこの相棒にスーツケースの話をした。ジーンは突然、冷静な面持ちになり、開いている窓を全て閉めた。そして、ケースを覗き込むと、札束を数え始めた。
「何だ、大した金じゃねーだろがよ」
「馬鹿かお前? これだけあったら十年は遊んで暮らせるぜ? 」
「お前は二年で全部使い切るだろうが? 」
そういい終わるや否や、ジーンは物凄い腕力でがっしりとジェイドを抱き締めた。二人は雄叫びをあげ、部屋の中で興奮しながら走り回った。二人は既に決めていた。この汚物と廃液に塗れた薄汚い街から脱出し、夜の世界で誰もが平伏す大物になる。この大金は、神が俺たちに与えた恩寵なのだ。恩寵はしっかりと、よく考えて蒸発させねばならない。ジェイドとジーンは、一つの地層のようにケースの中で堆積した100ドル紙幣の山を見ながら、眩しいほどの光の中で、数知れない女たちが蜂の巣のように蠢いているイメージに襲われていた。
その頃、ジェローム神父はいつものようにミサ聖祭の中で聖書を朗読していた。その日は年間第三十主日のミサで、ちょうど世界宣教の日に当たっていた。教会に足を運ぶ熱心な信徒の大半は、この司教区ではヒスパニック系が圧倒的に多い。英語、スペイン語に堪能なジェローム神父は、他の司教たちからもその敬虔さと人望を尊重されていたのだった。
「私たちは、常に自らがカトリック信者であるという自信と勇気を持って生活しなければなりません。単なる信仰の飾りではなく、実生活の中で常にイエス様の行いを思い、他の宗派や人種の違う人々に対しても、教えを実践していかなければならないと思います。私たちの一人ひとりが、教えを伝える宣教者となって、苦しんでいる人、大きな困難を抱えている人のための光となるように、祈りましょう」
神父がそう今日の説教を終えると、一同はそれぞれに今の言葉を自分の魂と照らし合わせ、感謝しながら十字を切った。ミサが終わっても、彼は今日の奉仕職についてくれた従者の少年少女たちと気さくな冗談を交し合い、年老いた婦人には同じ姿勢になって親身に話を聞いたのだった。壮年に達したジェローム神父は聖職者に似合わず、非常に大柄で美しい青い瞳をしていたが、足を患って今はやや引き攣ったように歩いていた。
やがて、修道院の司祭の部屋に戻ってきたジェローム神父に電話が鳴り始めた。彼は穏やかな表情で受話器を取った。
「はい、こちらロサンゼルス大司教区の聖セバスティアヌス教会です」
「ジェローム・プレスネル司祭はいるか? 」
「わたくしがそうですが」
「お前がいるということは、まだシモンという男も存在しているということだな? 」
電話の主の唐突な質問に、ジェローム神父の穏やかな表情が一瞬にして動物的な冷厳さを帯びた。
「ええ、シモンはおりますが。彼に仕事の話でしょうか? 」
「そうだ。今から依頼内容を話す。盗聴の心配はないな? 」
「大丈夫です」
「実は三日前、我々の組の金がサンディエゴの組に盗まれた。盗んだグループの大半は処刑したが、まだ残党がケースを持ったまま逃亡している可能性がある。それを見つけ出して欲しい」
「ケースは今どこに? 」
「発信機がついている。明日の午後三時頃に、聖セバスティアヌス教会宛てに小包みが届くはずだ。そこにケースの位置を知らせる受信機を入れている」
「報酬は? 」
「二十万ドルだ。残党は全て消してかまわない。シモンの仕事に期待している」
「引き受けました。貴方がたに主の御加護がありますように」
そういうと、ジェローム神父は受話器をそっと置いた。彼は静かに柱に掲げられた十字架のイエス像の前に立つと、その姿を深海に沈んだ丸い石のような瞳で見つめていた。やがて彼は床下の一部をずらして、中から布に包まれた長い何かを取り出した。
ジェイドとジーンは安い軽トラックに自分たちのなけなしの荷物を詰め込み、今東海岸を目指して走らせていた。洒落たジャズの音楽が、街を出る前に拾った若い三人組の女たちの笑い声で台無しになってしまっている。ジェイドは助手席に今晩の相手を乗せてハンドルを握っていた。ジーンはといえば、後部座席で既に二人のカウガールな女子大生たちにフェラチオの練習をさせている。
ケースは荷物の間に無造作に投げ込まれていた。彼らが全く気付いていない暗がりの中で、札束の裏側に装着された発信機が着実に何者かを接近させつつあった。
やがてジェイドは手頃なモーテルを見つけると、そこで車を止めた。二人は女たちとモーテルの一室になだれ込むと、シャワーも浴びずに全員が一気に服を脱ぎ始めた。しばらくジェイドは今晩の相手に熱心なクンニをサービスしてやっていたが、急速に得体の知れないような不安に襲われて、たった一人モーテルの外の広い車道に出た。真直ぐに伸びた道を、丈の長い草原が覆っている。夜空に浮かぶ三日月には、異様な速さで過ぎ去っていく黒雲が纏われていた。彼はモーテルの傍で横転したまま石化したような廃車を見つけると、その上に荒っぽく腰掛けて煙草に火をつけた。
ジェイドはネックレスに取り付けた丸いブローチを開いて、昔この街で修道女をしていた妹の笑顔の写真を見つめた。いい妹だった。よくできた妹、自分のような路地裏をうろつき回るハイエナとは比べものにならないほど、優しくて上品な妹だった。いつも顔を見かけると、眉をへの字にして「ちゃんとした定職につきなさい」だの、「早く彼女を一人に絞りなさい」だの、五月蝿く説教していた。そんな自分には勿体無いような妹を、ある日、一人の少年が殺してしまったのだった。
その日、妹のマチルダはいつものように修道院でミサの前に祈りを捧げていた。そこへ、学校で既に七人を銃殺して逃走中の男子生徒が現れた。彼は殺傷事件を起こすずっと前から、一方的にマチルダ目当てに教会へ通っていた。マチルダはそれを誰にも相談しなかったが、少年の様相が普通ではないと察知した修道院長の話で、外部にまで広まってしまったのだ。
マチルダは血塗れの少年を見て、眉一つ変えずに優しく抱き締めたという。他のシスターや信者たちが驚愕して悲鳴をあげている中、妹のマチルダはまるで何か密約を交わしているとでもいわんばかりに、少年を抱き締めながら微笑んでいたらしい。それから――そう、彼はショットガンで妹の脳天を撃ち抜くと、涙を流しながらキリストの御前で自分の心臓を撃った。
ジェイドは妹の死を聞いた時、涙を流すことができなかった。ちょうどその時、彼は麻薬密輸を専門とするブローカーの仕事を手伝ったことを他の仲間にバラされて、拘置所で警官たちからリンチを喰らっていたのだ。出所して相棒のジーンと共同生活を送るようになり、女を抱くペースが早まり始めたある夜、「あたしさ、昔ね、シスターになろうかって思ってたんだ」とセックスの後に洩らし始めた片目の娼婦の言葉を聞いて、突然、洪水のように涙が止め処なく溢れ出たのだった。その娼婦とは長続きして、いつかグアテマラに別荘を建てようと無意味な計画を立てたりしていたが、不意に交通事故でこの世を去ってしまった。
それ以来ずっと、ジェイドは心のどこかで、マチルダの笑顔を追い求めていた。教会には行けなかった。教会に行くと、ジェイドの足は震えだして、その痙攣を抑えるために大量の薬物と女の体が必要になってくる。でも、ジェイドの中で、マチルダと血塗れになりながら抱き締め合っていた無垢な少年の姿は、まるで傷付いた自分を抱いてくれていた母親とのそれのように、いつまでも魂の奥深くで彼の存在を守護し続けていた。
翌朝、二人はモーテルに女を置き去りにして車を出発させた。今日は交替でウェイドが運転席に座っていたが、ジーンは落ち着かない様子でバックミラーをちらちら眺めていた。
「どうした? 顔色が悪いぜ? 」
「さっき、ケースの中の札束をチェックしてたんだ。何が見つかったと思う? 」
ジーンはそういうと、ジェイドの方を振り向いた。
「まさか」
「そう、発信機だ。もちろん、捨ててきたぜ」
ジーンのその言葉には、しかし明らかな焦燥と不安が立ち込めていた。
「どこへ捨てたんだ? これから俺たちは真直ぐ進んで東へ向かうだけだ。このままだと行き先がバレちまう」
「心配するなって。信号は昨夜のあの、アナル好きなメス犬のブランドバッグに突けてやってる。あいつら、ロスに戻るっていってたろ? 」
それを聞いて、ジェイドはジーンの人格を疑わざるをえなかった。所詮、一夜の女だったとはいえ、前戯が下手だった腹癒せに命の危険に曝させるような羽目に陥らせるだろうか。ジェイドはしばらく沈黙しながら車だけを走らせていた。空は美しく晴れ上がっている。雲一つ存在せず、ただ道が真直ぐ前方に伸びている。
「この金、一体何のための金だったんだろう」
ジェイドはまるで自問自答するかのように、そう慎重に呟いた。
「はっ、俺に聞くなっての。どっちみち、ヤバイ金に決まってる。でもまあ、もう心配はないだろう。追っ手が向かう先は、アナル犬なんだから」
彼がそういい終わる否や、ジェイドは一瞬、幻のように血液がガラスに球体となってゆっくり飛び散っていく光景に襲われた。異変に気付いた時、既に助手席のジーンは後方から頭部を撃ち抜かれて即死していた。ジェイドは衝撃の反動でワイパーのスイッチを押してしまった。彼はハンドルをふらつかせたが、そのままギアを強めて加速させた。
死んだジーンが揺り籠に乗せられた赤子のように、血を流しながら寄り添ってきた。ジェイドはそれを跳ね除けると、即座にバックミラーで追っ手の車を確認しようとした。だが、彼がそうすることを既に予測していたのか、今度はミラーに向かって後方から銃弾が発射された。ジェイドは必死で体勢を低くしながらハンドルをキープし、なお且つベルトにさしていた拳銃を取り、片手で素早く装填した。
やがて追っ手が撃った弾がジェイドの車のタイヤに貫通し、彼はハンドルを奪われざるをえなくなった。ジェイドは死者と渾然一体になりながら脇の茂みに車もろとも突っ込んだ。止まった車から即座に脱出したジェイドは、マチルダのブローチがすぐ眼前の車道に落ちていることに気付いた。彼は危険を承知で、手だけを車の背後からブローチへと伸ばした。
刹那、ジェイドの手に焔が触れたような痛みが襲った。マチルダの写真を取り戻そうとしたジェイドの指先を、犯人が銃弾で消し飛ばしたのである。彼の手は、彼が大切にしていた妹の笑顔と共に血飛沫を上げながら脆くも砕け散った。ジェイドは意を決して、片手で拳銃を握った。彼はこの恐るべき追跡者を返り討ちにするつもりだった。顔を見て、何発も胸に銃弾を撃ち込み、そして本当に大切なものだけ持ってロスへ引き返すつもりだった。不意に、小鳥の鳴き声が木も存在しないようなこの広漠とした車道で、喉かに響いてきた。
追跡者の車のドアが閉まる音がした。引き攣ったような奇妙な足音がゆっくり近付いてくる。真昼間、若いカップルがイチャつきながら車でここを通るような時の空に相応しい日だってのに、この俺は一体なんてザマだ――ジェイドに不意にやり切れない微笑が浮かんだ。
ジェイドは足音の主を待ち構えていた。ふと、砕けたブローチの破片を拾い上げる音がした。長い、永遠のような沈黙が都市とも森ともいえない、この曖昧な一本道の空間に流れた。
ジェイドは今だと直観した。彼は車から躍り出て、そこに立っていた黒ずくめの追跡者の胸を撃った。だが、男は防弾スーツを着ているのか、そのまま直立不動で全く意に介さなかった。ジェイドの弾は、切れた。彼は諦めた。おしまいだ、下らない俺の映画が今終わる、観客はこの得体の知れない男たった一人、入場料は俺の年齢分二十五セント。ジェイドは己を死を悟ると、軽妙な口笛を吹き始めた。
だが、追跡者は拾い上げたブローチをジェイドに投げ渡すと、そのまま彼に関心を失ったようだった。追跡者はトラックからスーツケースを見つけ出すと、それをそのまま老いたる野犬がびっこをついて歩くような足取りで、自分の車の後部座席に投げ込んだ。彼が手にしていた拳銃には、蜃気楼のはざまの中で「Simon」という焼印が見受けられた。そして、ジェイドの方をおもむろに見やると、まるで腹を満たした狼が目の前の兎の疾走を赦すように、運転席へと乗り込んだ。
車が一台走り出した。茂みに脱落した安っぽいトラックには、つまらない衣類やギター、ひび割れた扇風機などが積まれている。助手席には若い男が鮮血を流しながら絶命している。空はというと、いっこうに美しく晴れ上がっているのだ。あくまでもロサンゼルス郊外の空は、爽やかでいい風が吹いていた。ジェイドは溜息を吐きながらブローチを握り締めた。そして、熱い熱い接吻を自分の血に塗れた亡きマチルダの小さな写真に贈ると、突然両肩を震わせて、「主よ、主よ! 」と叫びながら、美しい瞳をした少年のように泣き喚いた。
( FIN )