大聖堂の一隅
 

 

 

 

はじめに

「出だしの何ページかを書いてはみるが、うんざりしてペンを手から放してしまい、どこまで行っても才能など身につきはしないし、もともと素質がないのだから…」 

     by マルセル・プルースト『失われた時を求めて』





Ⅰ 「フリードリヒから、淀川へ」

 



 C・D・フリードリヒの《画家のアトリエからの眺め、右窓》という作品は謎めいている。僕はこの画家をこれまで過大に評価してきた。だが、ようやくこの一枚(実はペンダント形式なので二枚で対を成しているが)に触れて、フリードリヒの新しい不思議な一面を知った。実は、彼は1810年頃に自画像を描いている。ドイツはもとより、世界的にも非常に名高い画家の代表的な自画像として、僕は考えてきた。ところで、先の《画家のアトリエからの眺め、右窓》は1805年から6年にかけて、セピアで描かれている。初めてこれを見たとき、「懐かしくて穏やかで良い絵だな」と単純に思っただけに過ぎなかった。が、この絵の何故か左端に「鏡」が小さく部分的に描かれている。なんと、その中に、フリードリヒの頭部の上半分が覗いていたのだ。
 この愕くべき発見を、僕はドイツ美術に造詣深い仲間裕子女史の研究書で知った。彼女はそれを冒頭で取り上げていた。僕はその論文を読んでいて、これまで長年通ってきた教会の裏に、実は不思議なトンネルが隠されていたのを見出した時のようなある種の安らぎを抱いたのだった。フリードリヒは《画家のアトリエからの眺め、右窓》で窓の傍に「鋏」も描きこんでいて、彼女はそれを当時のドイツ・ロマン派の背景に存在していた「フラグメント(断想・断片)」の概念に基づいていることの符牒である、と解釈していた。とはいえ、《画家のアトリエからの眺め、左窓》の方には、フリードリヒの顔が無いのだ。鏡に写った自身が断片として顔を覗かせているのは、右窓だけだというわけだった。
 断片、というコンセプトに基づいた作品に、何故か最近よく触れる。例えば、オットー・クンツリという世界的に有名なドイツのジュエリー・アーティストがいるが、彼の作品のあるシリーズも、断片の概念に基づいている。ミッキーマウスの頭部を斜めに切断してペンダントにしたもので、「Broken Mickey Mouse」と呼ばれている。僕はこれまで、本当に自分に合ったペンダントに出会ってこなかったが、これは感覚的に非常にシンクロできた。クンツリの少年時代の過去との切断を意味している、などとも解釈されていたが、この概念は美術界だけには留まっていないようだ。
 僕は自分でも小説を書き、作家を目指しているので文学的次元から書くが、W・G・ゼーバルトというドイツの現代作家がいる。彼の作品、別に『移民たち』でも『アウステルリッツ』でも『土星の環』でも題材として可能なのだが、これらの作品が持つ共通した文体の特性とは、やはり「断片」である。例えば、地理的なコード、歴史学的なコード、文学的なコードなど、様々な領域からの引用が、さながら廃墟のようにテクストを織り成しているのだ。ある街の名前、ある人物の出身校の名前、ある人物の恋人の従姉妹が読んでいた絵本の表題――いわばこのように固有名詞が、廃墟に散在する無数のオモチャの欠片たちのように生成し続ける。僕はその源流がフリードリヒのあのセピアの絵にあるかどうかは判断できない。ただ、不思議なことに、全て三者の作品がドイツの国籍を持つ芸術家によって生み出されてきたことには、何か意味があるだろう。
 次に記す芸術家においては、書くのが極めて難解になるが、あえて挑戦しておこうと思う。現在、僕はクリスチャン・ボルタンスキーという一人の男性の創作理論を、文学的次元に応用できないか研究している。ボルタンスキーの作品は、一貫して「痕跡」を主題化し続けている。初期の作品は極端で、自分の髪の毛やTシャツを展示している。或いは、ボルタンスキーが書いたメモや、撮影した写真である。有名なのは、収容されていたユダヤ人たちの「死」を感じさせる、圧倒的多数のTシャツの山である。実は、ボルタンスキーの伴侶の女性も芸術家で、彼女のテーマもさながら兄と妹のように「痕跡」を追究する点で同一である。その彼女――アネット・メサッジュだ――の作品は、はっきり書くが常軌を逸している。彼女は「私、アネット・メサッジュが生まれてから22歳までに使ってきた全てのヘアブラシの提示」などという形式で、自分の周辺にある、ないしは自分が生み出したものをオブジェとして作品化する。それも、全てこのテーマで統一している。「私が1986年から2008年までに育ててきた全ての植物の学名のみの提示」といった着想である。いわば、重要になるのは何をオブジェとして提示するかの視点である。
 ボルタンスキーはフランス系のユダヤ人だ。彼は戦後生まれだが、彼の父は戦争を経験している。ボルタンスキーの次元においては、「痕跡」は「断片」と連関を持っている。僕がボルタンスキーに、少なくとも一度は極めて印象深い愕きを感じたのは、おそらく彼がしている行為が、ほとんど「意味賦与作用」に依存しているからである。彼がしていることは、印象派の個展やラファエル前派の画家たちのみを耽美的に愛する者たちの目からは、ほとんどまともに評価されないだろう。しかし、それは彼の作品の断片にしか触れていない者の見解で、作品の総体を俯瞰すれば、「痕跡」という概念や、「死」「喪に服する」などといったアウシュヴィッツ以後の芸術の革新的な概念が湧出するのである。
 ドイツの芸術家で、僕が現在高く評価しているのはゲルハルト・リヒターだ。リヒターもボルタンスキーに近い、極めて不思議なことをしている。彼は、まず一度写真を撮影して、その写真をぼかしたような絵を描く。それをシリーズとして何度も繰り返した。これはフォトペインティングといわれる。無論彼には抽象絵画のコードというもう一つの軸もあるが、僕は彼が写真からもう一度絵筆を起こす、というその発想に今でも何か奥深いメッセージ性を感じている。「絵画である」こと「写真である」ことが不確定なのだ。双方の境界線は明瞭ではない。素人の写真で、いわゆる「ピンぼけ」という現象があるが、リヒターは故意にそれを絵画上で演出している。彼が現代の西洋文明に投げかけた命題は非常に重要だ。リヒターの言葉で印象的なものを二つ引用しておこう。一つは、「アウシュヴィッツの後にも詩はある」。もう一つは、「信じるためには、神を喪失していなければならない」。
 芸術の「趣味」の問題としては、僕の関心はおそらくこの辺りを旋回してきた。18歳くらいの頃は、ゴッホの絵が好きだった。というより、ゴッホの「生」の歩み方の亀裂、断崖にこそ不思議な癒しを見出してきた。だが、基本的に僕はゴッホの絵が「巧い」と感じたことは一度もなかった。画家の絵の巧みさは、デッサンを見れば判断できる。レオナルドのデッサンはそれだけで既に一つの芸術である、という見解が現在のレオナルド研究では主流である。
 ベーコンの場合は、より疑念を抱かねばならない。ベーコンの絵はドゥルーズが論じたことには反して、僕はそれほど重要ではないと考えている。ドゥルーズはベーコンの絵を「器官なき身体」の概念と関連させていたが、ベーコンの絵は「インパクト」の概念に基づいて制作されていると考える。例えば、彼の処女作の有名な《磔刑》は、キリスト教神学的な意味での「磔刑」ではない。むしろ、彼はその意味を剥奪して、「磔刑」というセンセーショナルな「事件」に新しい「意味」を生産させたのだ。これは『意味の論理学』で、意味論を「意味の生産地帯」「記号の戯れ」として規定したドゥルーズの哲学と合致するものであり、ゆえにドゥルーズは兄弟的な愛着からこの画家を読んだのだ。
 二十一歳の今、そして洗礼を受けて三ヶ月経過した今、僕が思うことは、レンブラント、レオナルド、ボス、ワイエスが僕にとっては大切だということだ。この中で、まず初めに書いておくべきは、ヒエロニムス・ボスである。ボスは、僕と同じくカトリック信徒である。また、これは第二の僕との共通点だが、彼はマリア会に帰属している男性だった。僕のカトリック系の母校も、フランスのマリア会を母体としている。その敬虔で穏やかだったと推測される慎ましいボス(ボスとは通称で、本名はイェルーン・ファン・アーケン)が、何故あのような絵を描いたのか?あのような絵、というのは《快楽の園祭壇画》のことであり、《聖アントニウスの誘惑》のことである。特に後者は、聖人よりも「悪魔」に焦点が当てられている。ある研究者の説によれば、ボスという男性にはパトモスのヨハネやマグテブルクのメヒティルトのような「幻視」の能力があったという。もしもあのような奇怪極まる悪魔たちを彼が視覚で把捉していたとすれば、これはこれで愕くべきことである。
 ボスは、僕の心にとっては信仰の糧にはならない。他方、プロテスタントだったレンブラントの、特に晩年の一連の肖像画や自画像、聖書をテーマにした作品には、大切な「静謐さのシグナル」を感じる。この画家は、苦悩していた。晩年の静寂は、おそらく彼の苦悩に由来している。
 僕が美術、主として絵画について綴ってきたこれらのテクストは、現在の僕自身を表現しているといえるだろう。つまり、僕は静謐な画家を求めているのだ。ワイエスに感じられるのは、「女性を大切にする優しさ」「孤独さ」などだ。

 上記のテクストで、僕は今の僕を全て表出したと考える。その理由を述べると長くなるが、簡潔にいえば、「主体」とは常に他者の網目状組織を通過して生成する架空の概念だからである。「僕」は存在しない。存在しているのは、
「僕」という不可能な一人称を用いる他者たちである。
 さて、次に僕は「宛先」の問題へ移行する。これまで僕は主として自作をWeb上で投稿してきた。つまり、宛先がWebに限定されていた。しかし、僕は自分が作家になりたいのか自分でもよくわからないので、Webで一部の人に、僕を通して様々な芸術家や哲学者や作家がいることを伝えれば、それで僕の機能は充足すると感じてきた。そこには「野心」がなかった。つまり、僕は文壇を席巻するだとか、センセーションを巻き起こすだとか、そういうことに対して、あまり関心がなかったのだ。ただ自室にpcがあり、趣味で書いていたので、せっかくだからWebで投稿してみるか、と思ってそれを行ってきただけに過ぎない。
 僕は上記のテクストで、「作家を目指している」と述べたが、これには先のような注釈が必要である。僕ははっきりいえば、作家にほとんど魅力を感じないのだ。哲学者にもそうだ。画家は作家よりも重要だと思うが、それでも誰が「職業」としてそれを目指したいなどと思うだろうか?おそらく、多くの人は「やむにやまれず絵筆を握る」のだ。昔から、僕は「将来の夢、作家」というタイプの少年ではなかった。むしろ、僕は十代後半になって、ようやく本格的に純文学を読み始めたのだった。例えば、自分の可愛い息子がいるとして、彼が「僕はカフカみたいな作家になりたい!」などと瞳を輝かせながら叫んだとして、誰が彼に「応援するよ。絶対になれるさ!」などと笑顔で返すだろうか?誰も、あんな苦悩を子供に味わわせたくないものである。
 僕は「作家になりたい!」というひとは、それはそれで素晴らしいと思う。だが、このような意志の強いベクトルを示すこと自体が、実は一つの稀有な才能なのである。僕は自分が小説家に向いていないような気がしている。デビューすれば、「ずっと目指してきました」などと嘯く。だが、書くこと自体が無意味である現代世界において、感嘆符付きで意志を表出できる全てのひとは、おそらく本質的な楽観論者か、さもなくば現代思想の通奏低音について何も知らない気がしてならない。
 ベケットという作家がいるが、僕はおそらく彼を早い時期に読み過ぎた。というのは、僕は19歳でベケットに耽溺していたのだった。僕にとって19歳というのは様々な意味で発端となっていて、この頃に三人の作家に集中して関心が向っていた。大江健三郎、ベケット、ボルヘスである。この三位一体的な文学的環境から、僕は文学に入ったのだ。
 そのベケットであるが、彼の作品にはほとんど目を通した。ドゥルーズのベケット論もその例外ではなかった。そして、ある概念を知った。「無意味」である。ベケットがしていたことは、端的に定義すれば、「何の意味もない御喋り」である。21歳の今もその規定は誤っていないと確信している。ベケットから入ったことで、「ベケット以後、何を書いても無意味だ」という哀しみのような十字架が僕に重く圧し掛かった。そうした哀しみは、ボルヘスの神秘的な素晴らしい短編小説たちの力によって慰められた。
 これとは別の次元で、僕には哲学のコードが存在している。17歳の頃にニーチェに衝撃されて以後、僕は文学とはまた別に哲学書を読み漁っていた。19歳くらいの頃に、デリダの『グラマトロジーについて』を購入して、以後はこの哲学者が僕にとって大切な存在になっている。デリダを深めようとすればするほど、デリダの背景に存在するフッサール、ハイデガーなどへ読解は向った。
 文学以外では、僕の知的関心はリゾーム状に拡大している。デリダを中心に、現象学の系列、フェミニズムの系列だ。更に、洗礼以前からそうであるが、僕には高校時代からキリスト教神学への根強い探究心がある。デリダは「最後のユダヤ人」などとも呼ばれるが、僕の洗礼名であるヨアンネス・ホ・バプティステスも、旧約時代を完結させた者であり、「待つ」者であった。
 文学以外の領域で、僕がおそらく今ほど充実している時期はないだろう。というのも、文学の狭さ、惨めさ、そして美しさの裏で作家たちが見せる倦怠を、僕は知っているからだ。はっきりいえば、僕の文学への関心は、ベケットで停止している。つまり、あの三位一体で凍結しているのだ。例えば、最近シュウォッブを読んで、久々に「これは」と唸ったが、翌日にはその関心への熱意は、温水プールのようになっていた。ジュリアン・グリーンの作品には関心があるし、現在も傍にサンドの『スピリディオン』があったりするのだが、もう「これしかない」というほど熱狂的に文学に心酔できないだろう。いわば、僕は今、一つの時代のピリオドに立っているのだ。
 『ハムレット』にも触れて、オフィーリアの最期を実際に見てみたいとも思った。また、ラシーヌには天才的な感性の迸りを感じて、これが本来の創作だったのだな、と思い直した。が、それも今は温水プールのようになっている。要するに、文学にあまり熱を上げれなくなってしまったのだ。にも関わらず、相変わらず読書量は加速度的に伸びてきている気もする。文学の「外」がこれほど愉しいから、逆に文学がドーナツ化しているように思えるのかもしれない。いずれにせよ、小説を書くということは、そして読むということは、賞味期限の切れた薄っぺらいチーズケーキのようなものだと思う。
 最近、僕が衝撃されたのは、実は日本の作家だった。笙野頼子というが、彼女は僕に瞬間的な熱狂を再燃させたものの、じょじょに批判的にさせていった。正確にいえば、僕は彼女の創作と作風、全てを全面的に支持する。だが、彼女は、あまりにも文学版ジャーナリズムの「受け」を意識し過ぎているような気がする。僕が知りたいのは、彼女の私生活で、彼女が見せる平穏で爆笑を伴うカタルシスなのだが、最近の『だいにっほん、ろりりべしんでけ録』でも、またキッチュ文化を意識した表現が姿を現すかと思うと、不意にツェランの詩を思ったりするわけである。
 ハイデガーは『芸術作品の根源』という名高い芸術論の中で、「全て偉大なる芸術は、常に衝撃的であらねばならない」と規定していた。更に、全て偉大なる芸術は、「圧倒的に不気味なもの、孤独なもの」であらねばならないとしている。しかも彼は、「大地との闘い」から作品は火柱のように裂け開かれることによって天才的に世界に到来するものでなければならない、とまさに自身の美学を表出する。そのハイデガーが生涯に渡って「世界最高の詩人」として崇拝した男性は、精神病を患い、詩作を中断せざるをえず、40年間も病人として過ごした。つまり、40年間も、無名の、精神を病んだ人間として生き、そして死んだ。誰のことか?フリードリッヒ・ヘルダーリンである。 
 ハイデガーの愛する書き手は、実はわりと精神的に病んだ人が多い。僕も17歳で絶大な影響を受けているから、ひとのことは批判できないが、ハイデガーほどニーチェを愛し抜いた哲学者もいない。無論、彼はその愛が狂愛へと変貌し、結局アドルフ・ヒトラーを「あの御方」などと敬愛するという政治的汚点を残しもした。ヒトラーはといえば、ムッソリーニにニーチェ全集を笑顔でプレゼントしていた。あの当時のドイツにとって、「ニーチェ」という存在は一人の悲劇的な英雄であり、悪名高い妹エリザベート・ニーチェの宣伝活動と相俟って、彼の誤った評価は著しく拡大していた。ハイデガーはそのさ中で青年時代を生き、ニーチェへの当時の社会の通俗的関心を「神話」とさえ呼んでいる。
 ニーチェとヘルダーリンは、共に発狂した点で共通している。ドゥルーズは、ハイデガーについて、「ハイデガーは狂っているが、顔も狂人みたいだ」などと、彼特有の少年的で底抜けのイタズラ心で無邪気にけなしている。だが、そのドゥルーズも、呼吸器疾患だったとはいえ、最期には投身自殺したではないか。そして、ドゥルーズほど、ハイデガーの誤ったニーチェ読解を批判し、ニーチェを純粋に愛し抜いた哲学者もいなかったではないか。ニーチェというのは、いわば西欧文明に聳える、一つの塔なのだ。その螺旋階段の上り方は、ひとによって様々だったが。
 僕がいいたかったことは、ハイデガーが既にいっている。つまり、偉大な小説は「衝撃的」であらねばならない、ということだ。つまり、賛否両論を巻き起こし、センセーショナルで革命的で、それまでの文学史を木端微塵に破砕させてしまうような紛れもない天才的な作品を、狂気に支配されてでもいいから渾身の力によって書け!と彼はいうわけだ。僕はだが、ボルヘスならまた別の見解を提示することを知っている。彼ならきっと、「穏やかになりましょう。そして、他者になるのです」というだろう。ボルヘスの短編小説で感嘆符を見出すことは困難である。だが、ハイデガーの『有と時』には既に幾つか奇妙にも感嘆符が顔を覗かせている。ニーチェが攻撃的に感嘆符を使う書き手だったとすれば、ハイデガーは感嘆符を消去して、異常なほどクールに大胆極まることを平然と口走る類の書き手だったといえるだろう。
 ベケットとボルヘス、一方は「書くことは無意味」で、他方は「引用のシステムとしての小説」である。この門から入ったために、僕は今、文学についてあまり可能性を見出せていないのだ。
 音楽では、最近はメシアンを聞いた。プロコフィエフ、ショスタコーヴィチはよく流す。僕が上記全てのテクストで書いてきた一見して「趣味の問題」は、実は僕自身の悩みと、不安と、今後への抱負と、これまでの僕の読書のスタイルまでをも表出しているだろう。言葉を書くことは虚しいことである。コヘレトの書によれば、今僕が書いたことは、既に誰かが書いてきたことであり、その繰り返しとして世界があるわけだ。円環的な時間を唱えて火刑に処されたエウフォルボスに対して、ボルヘスは聖アウグスティヌスの『神の国』から、「円環の迷宮から逃れる唯一の術は、イエズス・クリストである」というテクストを、おそらくはボルヘスらしく「意訳」して引用している。
 Web上に存在する全ての、いわゆる素人たちの習作を見ていて僕が思うのは、おそらく既に僕が上記のどこかで書いていることだ。言葉は小説だけでなく、ブログなどでも毎日書き込まれている。プラトンは、つまりプラトンの書いたソクラテスによれば、「書き言葉」というのは、「話し言葉」の影に過ぎない。Webに毎日投稿される様々な習作たちを見ていて、僕はコヘレトの言葉を想起するのだ。(最近の日本という小さな島国の文学的状況にも、やはり僕はコヘレトに近い感覚を抱く。正確にいえば、コヘレトが冒頭で述べている「これも空しい」「あれも空しい」「幸せとは何か?」という名高いテクストであるが)。
 僕が前まで、Page Not Foundというテーマで書いてきたことにも実は全て意味がある。Page Not Foundを今こそ翻訳しておこう。これは「ページが見つかりませんでした」という意味である。だが、その真意は、「見つかってもそのページは無意味である」ことを暗示させているのである。(つまり、見つかったページがPage Not Foundなのだ)。Page Not Foundという概念で、ベケットのテクストは規定できる。ボルヘスも鏡に自分の顔だけが映らない悪夢に襲われ続けたが、この「自分が発見不可能である」という命題も、Page Not Foundの虚無的な側面である。大江健三郎は、そのレイト・ワークにおいて、自分の内的世界を、ほとんど空想的なエッセイとして描いているが、結局これが最も良い方法論なのではないか。つまり、ひとは自分の日常の周辺を、生活世界を、喉かに書くようになっていくのだ。だとすれば、僕はミサのことや、淀川の夕暮れについての適切な表現を考えねばならないだろう。「淀川」という、大阪府に流れるこの川は、僕の生活世界の支流である。そこには様々なフラグメントが沈殿しているが、結局は、海へと繋がっている。僕が書いてきたこれら無味乾燥な引用の集積、稚拙な解説も、結局は広大な海の中の些細な一粒の砂に過ぎない。

 



 Ⅱ 「淀川から、コーネルへ」

 


 さて、僕は淀川へ向うことにした。だが、そこに何があるだろう?あるのは、夕暮れという時間帯においては、レオン・スピリアールトが描いたような、無限に続く堤防の幻想的な光景だけである。或いは、子犬を連れた女子高生の散歩する姿、少年二人の静かな釣りの光景、壮年の夫婦のマラソン、細い車輪のマウンテンバイクで疾駆する細長い顔の男性の軌跡だけである。ここが淀川河川公園の全貌である。全体とは部分に反映される。全体の本質は部分的なものに全て宿る、そういったのが誰だったか(確かフッサールが『論理学研究』の三巻でさり気なく述べていた気がする)――いずれにせよ、ここが世界といっていい。自然がある。ひとがある。空がある。川がある。鳥がある。
 淀川からは「物語」は開始されない。登場人物は、1「僕」、2「自転車」、3「小鳥」の類である。僕は小鳥と聖フランチェスコのように会話する才能には恵まれていない。教会では、俳優が増える。1「神父様」、2「シスター様」、3「先輩の信徒さんがた」、4「僕」だ。この教会の4の俳優と河川公園の1の俳優は同じではない。それがボルヘス思想の核心である。
 家の舞台では、「母親」「妹」「弟」「父」が現れる。おそらく、何か明記すべき「物語」はあったはずだ。例えば、洗礼式での思い出、洗礼式の翌週の、シスターさまの綺麗な、不思議な眼差し。或いは、僕が高校時代、美術室で見た、一人のクラスメイトの異常な行為、男子校の雰囲気に耐え切れず、女性の仕草を内部化してしまった生徒の微笑、教習所の教官を隣にして走った高速道路と、その先にあったが立ち寄るはずのない大阪府立図書館(こここそがバベルの図書館である)。幾つもの断片化した物語は、実は連続性を持って僕を構成している。どの瞬間を取り出しても、それは僕だ。だが、テクストの次元では、僕は「僕」に抹消線を引かれた存在者になる。だからこそ、書くことが狂気を生み出すことに、特に若いひとは注意すべきだと強く主張しておきたい。
 いずれにせよ、僕は大阪府立図書館の存在に感謝しているのだ。ここには叡智の全てがある、と僕は書いておこう。だが、その叡智を越えたものが、シスター様の眼差しにはあることも。
 今日は残念ながら府立は休館日である。長い期間、休館日は続く。昨日は父の誕生日だった。手紙を贈った。6月は父、7月は弟、8月は僕だ。22歳になる。僕は基本的に、書くこと以外に自己表現の場を持っていない。22歳までに何を残してきたのか、例えば社会に対して何を残したのかといわれれば、僕は21歳のある期間、ある企業に貢献していた、と記しておこう。その企業で出会った上司の一言と、衝撃的なほどの愛情に導かれて、僕はカトリックに「なる」ことを決意し、教会へ単身で向った。勇気を必要とした。家系に一人もカトリックがいなかったし、たとえ高校時代に神父様から毎週キリスト教の講義を受けていたとはいえ、やはり未知であるに等しい。だが、僕はそこで今の僕の精神的支柱である女性と出会った。僕はわりと静かで孤独な性格だろうから、破天荒に明るくてオチャメな女性に惹かれ易いのだろう。
 僕が今書いていることを、イエズス様が見れば何というだろうか?「アルバイトでもいいから、とにかく働きなさい。君は労働から逃げてはならない」というだろう。まさか、「今のままで君は良い」とはおっしゃられないのは解っている。実は、仕事を探してもいる。植物の世界が持つ癒しの世界に惹かれて、園芸関係の仕事に憧れたりした。或いは、書店員など。僕は集団で授業を受けるのが苦手で、大学には進学していない。だから、というわけではないが、会社員としての典型的な人生には、ほとんど「大笑い」しか感じないのである。
 「引き篭り」という言葉があり、「ニート」というイギリスの社会学からおそらく発生した用語がある。ある研究者はこれらの表現に対し、「文化滞留層」という表現を用いていた。「作家予備軍」「ミュージシャン予備軍」たちを、「フリーター」や「ニート」という表現で悪意を持って表現するのではなく、「文化に加担する意志を持った層」として解釈するわけだ。僕は今、ニートである。更に、僕は引き篭りといえよう。新しい仕事を探している全ての人をも、とりあえずニートと侮蔑的に呼称するのは、たいていがフリーターか、ニート自身か、鬱憤の溜まった会社員のいずれかであろうが、この表現が逆に労働への嫌悪を煽っているとしたら、それは問題だろう。
 僕に合った仕事とは何だろうか?それについて悩める時間が与えられているのだから、真面目に考察してみる価値がある。僕の心の中で、作家に少し憧れを持つのは事実だろう。そうでなければ、わざわざこんなテクストを書かない。とにかく働かねば、という意志が僕には弱い。父母は今48歳だ。僕は21歳。だからまだ余裕があると思っているわけではない。むしろ、焦りは必要な状況なのだ。だが、前の会社を9ヶ月で「クビ」になってから、あまり企業を根本的に信用していないのも実情だ。また、単純作業をしていると、思考が鈍るという面もある。更に、帰宅するのが夜の7時であった場合、シャワーを浴びて夕食を取って自室でボルヘスを開くまでに最低でも2時間はかかる。つまり9時だ。翌日の出勤は朝の9時である。すると、読書時間は長くて3時間か2時間になるだろう。だが、体力的にも精神的にも疲弊している場合、読書の精度は著しく後退する。したがって、こつこつと名著を少しずつ読み進めるという行為の反復と化す。そのような読書の場合、「レジュメを残して比較的に読解する」という今の僕が行っている読書スタイルは踏襲不可能だろう。
 僕は基本的に、良い文学は良い読書家からしか創造されないと確信している。多読でも誤読でも何でも良いが、とにかく本の世界に対して、自分なりの地図を築けるレヴェルにまでならないと、自分が今立っている文学的な足場さえもが見えないだろう。それを僕は「危機」と呼ぶ。別に通俗的でライトな作家を目指しているような商業狙いの俗物的な作家志望者なら、足場を知らなくても読書家でなくとも良いのだが、僕の場合はそういう感性がそもそも受け付けられない。おそらくニーチェの遺伝だろうが、基本的に作家はアウトサイドに位置して書くべきだと確信している。
 だから「働くな」というわけではない。僕は働いたのだ。そして、結局、僕は社内での人間関係、というよりも肉体的に苦しい仕事に疲弊し尽くした。だから「もう辞め」というメッセージにも、「あ、はい」と平然と返すことができたわけだ。あの会社で僕が得たのは、良い先輩ではあった。基本的に全ての人が、実際は温厚で平和な人であった。だが、はっきりいっておくが、僕は一部の上司としか話さなかった。教会でも、僕は同じような人間関係を描いている可能性もある。つまり、僕は社会的な場において、「母」のような存在に寄り添ってしまう側面があるのだ。辞めた後にも手紙が届いたその上司は、僕の社内での愛情に溢れた母親だった。年齢に関係なく、僕は母性的な女性だと思うと、途端に人懐こくなるような面がある。それは僕の良い面でもある。つまり、僕は人間が好きなのだ。母性的な男性にも強い友愛を感じる。人間関係において大切なものは、男性同士の友愛だろうか?そうではない。通俗的なサラリーマンドラマでは、男同士の友愛や葛藤が描かれるが、僕の世界に「大文字の男性」などは存在したことは一度もない。幼年時代からの家庭環境においても、常に権力を持っていたのは父ではなく母であった。父はおとなしく、控えめで、静かすぎるくらいだ。母は僕にとっての神であり、掟であり、そしてトイレに母が行っただけで強烈な寂しさに襲撃されるほどの大切な存在だった。僕はおそらく、あの企業において、彼女が母親のようになることを希求していたのだ。実際に、彼女は「あんたは私のもう一人の息子みたいなもんだから」といっていた。
 僕は母親と一緒にお風呂に入っていた記憶を掬い上げることができる。僕は妹ともよくお風呂に入っていた。その時、僕は母が僕とは異なる身体を持っていることに無論気付いていた。だが、平然としていた。むしろ、母親の「おしっこをする部分」が、僕と異なることについて、何か畏怖していたような印象がある。妹と二人でバスタブに浸かっていた時、妹が太ももを広げて僕に笑顔で近付いてきた瞬間は明瞭に記憶している。僕は反射的に彼女を遠ざけていた。やはり、妹が僕と異なる身体を持っていたことに打ちのめされたのだ。
 フェミニズムを学ぶ過程で、母親になりたくてもなれない女性の存在が概念として極めて重要であることを知った。例えば、「父性」原理に排斥されてきた「母性」を、概念として再評価したクリステヴァは、コーネルによって「貴女のいっている母性=女性という観方は、母になれない女性を余白へと追放していることになる」と批判された。母性は女性の特質だが、それを女性の本質だと考えることは、実は極めて危険なのだ。死産したショックから立ち直れなかったり、結婚していなかったり、子供が産めない体を持つ女性は、「女性」ではないという帰結が導かれてしまう。これは理論的なエラーである。また、「しとやか、センチメンタル、情緒的で涙もろい、やさしい」などといった、「女性的な」ものとして文化・時代が作り上げたものに対しても、現代のフェミニストは異を唱える。社会が女性を作り出すのだ。生物学的性差は二次的なものであり、まず幼年時代に「女らしさ」や「男らしさ」を教え込まれてしまうことに性差のディレンマに関する要因がある、とフェミニストたちは見ている。
 男も女も存在しない、というのがコーネルのメッセージだ。日本という狭い島国が作り出した「男性らしさ」「女性らしさ」に染まって生きている我々は、改めて性差の新しいコレオグラフィに価値を見出す必要がある、と述べている。だからといって、中性的な世界が評価されているわけではない。それはむしろ安逸な逃避に過ぎない。大切なことは、「女らしさ」という、男たちが捏造した文化の産物を徹底的に脱構築することである。僕は、全面的にコーネルの見解に賛同し、彼女の理論を学んでいる。(ちなみに、コーネルのデビュー以前の師は、ジャック・デリダである)
 ここで僕が述べておきたいことは、デリダという哲学者がフェミニストであったという点である。これを巷の高校生にいっても、「?」な顔をするだけだろうが、実は僕の研究してきた哲学者が持っていた新しい側面として、現在非常に関心が高まっている。デリダの哲学については、書きたいことが山ほどあるが、一ついえることは、「余白」の概念(本当は概念ではないが)だ。余白というのは、ギリシア語でパレルゴンといって、原意は「作品の外」である。対して、エルゴンというのは「作品」を意味している。カントは『判断力批判』の中で、「絵画」という作品の外にある「額縁」について論じている。これは現代思想の核心といっていい。額縁というのは、絵画というエルゴンの外にある、パレルゴンである。しかし、このパレルゴンが、エルゴンの存在に重要な役割を果たしてもいる。
 例えば、原稿用紙に小説を書くとする。この原稿の一部を、デクパージュ(切り抜き)する。すると、その部分だけ読めなくなる。実は、ここで概念的に何が生起したかというと、原稿用紙に「書かれた作品/エルゴン」に対して、「パレルゴン」が発生したのである。これを読者に見せるとする。すると、その部分だけ読めない。もしもその部分が、「城から王が姿を現す」という、作品の最も重大な部分であれば、このパレルゴンの持つ意味は深淵である。おそらく、カフカの『城』とは、パレルゴンである可能性が高い。カフカの操作に関わりなく、『城』で永久に姿を見せない主は、パレルゴンとして幽霊的に存在している。
 ハイデガーは、書かれたテクストにこそ真理が宿ると確信していた。生涯、これを信じ切っていた。書かれていないことは真理ではない。聖書は書かれたのである。ところで、デリダはハイデガーのこのような父性的な権威を剥奪する。彼は、「書かれていないところ」すなわち「余白/パレルゴン」にこそ、真理の起源がある、と述べる。だからこそ、デリダは『絵画における真理』の中で、カントが額縁に注目していたことを再評価して、「パレルゴン」という有名な論文を記したのだ。このパレルゴンとは、デリダのユダヤ性を感じさせる概念でもある。つまり、余白は書記素に追いやられ、追放された非―場所なのだ。これはどこか、ユダヤ人への歴史上の迫害や追放を彷彿とさせる。パレルゴンはいわば、エルゴンに迫害され、その権力によって抑圧されてきたのだ。ここで、ようやくコーネルの理論とデリダがリンクする。フェミニズムにおいては、女性の概念を抑圧する全ての男性的な支配構造は摘出される。ここでも、男性/エルゴンに対する、女性/パレルゴン、男性/Pageに対する、女性/Page Not Foundというコードが見え始めるのだ。コーネルがデリダから学んだ最も驚嘆すべき概念とは、この「余白」だった。そして、現代思想にとって最も大切な「概念でも観念でも理論でもないもの」(デリダ)として、パレルゴン性への可能性が開き始めている。パレルゴンについては、本来語れないので(というよりも、これは概念ではない)、語ることをした僕のテクストのエルゴンの部分には、パレルゴンについての何たるかは微塵も記されていない。しかし、このようにエクリチュールという攻撃的な書き込みによって、余白を埋める作業それ自身が、実はパレルゴンへの抑圧を意味してもいるのだ。僕はここまでの段階で、おそらく書くべきだったある女性との記憶を、余白へと追放してしまった。

 



 Ⅲ 「コーネルから、温水プールへ」

 



 短時間で淀川河川公園から帰宅してしまった僕は、水着を用意して近隣の温水プールへ向った。ここには何度か訪れることがある。もうすぐ閉館されるそうだ。僕がこれまで綴ってきた、ⅠとⅡ、合わせて原稿用紙35枚ほどのテクストの集積体の結果として、今の僕が存在する。既にⅠの頃の僕と彼は相互に他者である。双方の章とも、頭の中で何かをあれこれ考えているだけのようにも見える。だから、僕は「物語」を書くために、ここへ来たのだ。誰かはいるはずだ。
 入り口で職員の男性にカードを(僕は退社した資金でプールの月給を払っている。もうすぐ底をつくが、もうすぐプールも廃墟になるのだ)提示した。奥へ進むと男性用更衣室がある。(僕は今、うっかりと変換ミスで更衣室を「皇居」と記してしまった。これも行為の痕跡・廃墟として、ボルタンスキー的に記しておく必要があるだろう)。
 着替えて、プールサイドへ赴くと、4のコーナーで若い男性が泳いでいた。施設は室内プールであり、全部で16の窓が存在するが、そのどれもが周辺の雑木林の光景を映し出している。時刻は既に夕暮れだ。夜の8時まで開放しているので、まだ三時間は泳げるが。
 泳ぎ終えて水中に顔を出し、ゴーグルを外した彼の顔を見て僕は笑った。久保ではないか。久保裕人。僕の(これはもう笑うしかないだろう)高校時代の旧友の一人だ。躁鬱病に苦しんでいたが、演技的でもあり、ボーイという音楽バンドをこよなく愛していた。突然歌い出すというセンセーショナルな性格で、僕は密かに久保の稀有な性格を愛していた。
 ――うわぁー!誰かと思えば!鈴村くん?いや、信じられへん。
 ――おぉー。久しぶり。
 ――えっ?ここに来るん?っていうか、北澤のその後について知ってる?
 久保は明らかに高揚していた。僕も笑っていた。高校時代、ここで密かに書いておくが、僕と彼が遠足でUSJに行った時、わずかの間だったが、手を繋いだ記憶は忘れられない。久保はスパイダーマンのアトラクションの中で、怯えて咄嗟に僕の手を握ったのだった。いわばそれだけだが、僕は何故か心が高鳴り、憂鬱と革命の双方のような感覚に支配された。
 北澤というのは、僕と久保のもう一人の友人で、卒業して中東を一人旅したらしい。高校時代、中東でテロ集団に拉致されて日本中を心配させた青年を徹底的に批判していた北澤だったが、自分も拉致されるつもりだったのか、年賀状に「鈴村くんは南仏ですか?僕は中東を旅しましたが」などと書いていた。僕はあの手紙を読んだとき、人間のこころの不思議さを感じたものだ。
 卒業アルバムで、久保について、母と妹に「なあ、かっこいい?」と質問したことがある。僕の中では、久保の容貌は彫刻的で、少し太宰に似ていて好きだったのだった。
 ――もうすぐここ、廃墟になるらしいですよ、ははは。
 久保がまた敬語で恭しくそういったので、僕は自分も水中に浸かりながら、「タメで話さへん?っていうか久保君は大学生なん?」と返した。久保は高校時代、「神戸の街は洒落てるし俺に合ってるから、志望大学は神戸大学以外にはない」と断言し、受験前から合格を宣言していた。
 ――大学なぁー。
 ――落ちたか!
 ――いや、妊娠させてもうて…。
 僕の顔は、おそらくへのへのもへ字のように幾何学的な単純さで再構成されただろう。
 ――妊娠って?なに?
 ――付き合ってた彼女が妊娠して、働かざるをえなくってやつかな?
 久保のテンションはやはり僕よりも二倍も三倍も上の平面に位置していた。久保は高校時代、一度だけだが3pについて語っていた。自分の友達は、同時に二人の女子高生とやったという、「友達ネタ」であって「自分ネタ」ではない哀れで奇妙な自慢話である。そういう軽い連中とつるんでいる、というのが男子高校ではいわば隠れた羨望の的になっていたのだ。下らない話だが。
 ――ふーん。
 僕は幻滅を感じたが、それはそれでもう終わったことにした。
 ――鈴村は?
 ――えっ?俺かぁー。聞いてもつまらんと思うでぇー。
 ――まさか「俺、神父目指してます!」とか?
 ――ソノマサカ。
 久保は目を丸くしたが、明らかに悪戯的で気楽なものだった。僕も気ままに水面に浮かんでいるわけだが。
 ――嘘やろ?えっ!マジなん?
 ――嘘やん、と僕は少し疲れた笑みを浮かべて小声でいった。シスターさまにも、前に修道院から帰るバスの中で、「神父さまになりたいと思う?」という質問をいただいた。僕はただ、「人前に出るのが苦手で」と返しただけだった。
 ――えっ?じゃあサラリーマンデスカァ?
 ――サラリーマンデスカネェ?
 ――あっは!いや、真面目に答えてぇな。どんな感じで暮らしてるん?ただの近況報告やん?
 ――いや、わかってるって。まじで話せることがないんやわ。
 ――それって、もしかしてニートテコトデスカァ?
 ――ニートテコトデスカネェ?
 ――嘘?あっは!今度はマガオだぜ、おいおい!まじですか?
 僕は久保が「妊娠」についていきなり語りだしたことを追及したくなってきた。
 ――探してるんやわ。でもなぁ、なかなか見つからへん。花屋でもいいと思ってねん。俺花好きやしな。
 久保は僕がそういうと、「ふぅん」といって黙り込んだ。
 ――で、さっきの妊娠って何?責任取ったん?やんな?
 僕がそう顔を覗き込むと、久保は水面を跳ね飛ばしながら、ロックミュージシャンのようなポーズを取って、
 ――とってません!はいっ!
 と断言した。
 ――じゃあどうしたん?子供は?っていうか、彼女は?
 ――いや、堕胎でしょ?扶養能力ないし、まだお互いに遊びたかったし。
 僕は正直、困惑した。眉を顰めるべきだったが、旧友でもあった。そして、おそらく久保のことだから、罪悪感は抱いているはずだった。彼も、僕と同じく、カトリックの環境で高校時代をすごしたのだから。
 ――そうなんや。
 ――うん。あっ、でも俺小説家目指してる、かな?
 ――えっ?
 僕は耳を疑った。
 ――前な、鈴村くん、俺の書いた詩褒めてくれたやん?あれがきっかけで、俺ずっと作詞してきてん。地元のアマチュアのバンドグループの女に詩とか提供したりして。でも今は、やっぱジュンブンガクデスヨ!オイオイ!
 ――はぁ?まじで?
 ――マジまじマジまじ大真面目!
 ――じゃあ文学賞とかに応募してるん?
 ――俺の落選歴はハンパないで?でもまだ21歳やし、このまま何回も何回も何回もクンニしてやれば、いつかは出版社も潮吹きするでしょ?きゃははは!
 ――久保、酔ってる?なんかテンション変やで?
 ――ぜんぜん?スです。ス。
 だが、久保は確かに常態が酔っているのでもあった。いわば酔い続けているような雰囲気が常だったのだ。それがもしかしたら彼の病気だったのかもしれない。薬に依存しなければ、精神状態を維持できない高校生だった。
 ――そっかぁ。久保も作家目指してるんやー。
 ――「も」って?まさか鈴村も?
 僕は静かに頷いたが、頷いている自分に違和感を覚えた。僕は逃げているだけに過ぎないのだ。
 ――えっ?何読んでるん?
 久保は興味津々、という感じで顔を近づけた。僕は彼の唇を見ていた。やはり、高校時代と変わらず、非常に端正で僕が好きな顔だった。僕は彼に見つめられ、自分が女性になったような気がして、思わず横を向いた。
 ――へっ?なになに?もしかして官能小説家志望者テヤツデスカネィ?
 僕と久保は大笑いした。そして、ほとんど顎が外れるほど笑い続けた。やがてプールサイドの7のコースに、一人の色白の女子高生くらいの少女が立っているのを見つけた。彼女はそこで僕らには全く関与なし、という雰囲気で自分だけの泳ぎの世界に入っていた。
 ――誰やろ?ボルヘス?とか?
 ――へぇー。アルゼンチン!
 久保は今、彼女に気付いた。そしてほとんど獣のように猥らな微笑を浮かべた。
 ――久保もボルヘス読むんか?
 ――いや、専門じゃないよ。
 ――誰が専門?
 ――うーん。フォークナー?まあ、他にもいるけど。クンデラもいいし。フォークナーはペーパーバックで英文で読んでる。クンデラもチェコ語は読めないから英語で読んでごまかしてる。
 ――えっ?クンデラってチェコ語か?
 ――さぁ?忘れた。鈴村はペーパーバック?あっ、ガリマールか。やっぱり!読むのも俺は日本語じゃないぜーみたいないオーラ出てるもん。
 ――いや、俺は英語では読めへんわ。シェイクスピアも英語で読まれへんくらい。やばいなぁ。俺って。
 ――はぁ?マジですか?じゃあ全部翻訳書依存症ですか?
 僕はそんな言葉があることなど初めて聞いた。少女は平然と、冷静に、無機質に水泳していた。僕と久保は二人で彼女の泳ぎを見ていた。
 ――作家になる上で、邦訳依存はヤバイと思うで?最先端のフランスの現代文学の事情とか全然知らへんやろ?
 ――うん、全然。
 僕は彼女を見つめ続けていた。久保の話しから逃避するためには、有り余るほどの美しい時間を与えてくれた。その泳ぎは芸術だった。
 ――ソレルスは?
 僕がそういって久保を振り返ると、彼は先刻よりも高い声で笑った。
 ――ソレルスが最先端の時代なんかいつの時代なん!ヌーヴォー・フィロゾフやろ?
 ――デリダは?デリダは最新鋭やろ?違う?
 ――デリダとか、といって久保は彼女を見つめた。文学の「外」じゃん?
 僕は気を失ったように水面に倒れ込んだ。何と気持ちのいい水だろう!後頭部がサッと冷たくなり、全身が浮かぶ。扁桃腺が腫れていて痛むのだが、ここは巨大な薬のようだった。

 僕はここで実は、読者に告白しておきたいことがある。久保裕人なる人物などは存在しないのだ。存在しているのは、久保という姓を持つ僕の高校時代の旧友だが、彼とは卒業以後交流はない。僕が久保裕人を、実在する久保を虚構化して作り出したことはいうまでもない。ただ、久保裕人との関係の中で、一つだけ事実がある。それは、僕が彼と手を触れ合わせることが一瞬だけだが確実にあった、ということである。薬に依存していた点は、現在はどうか定かではないが、これも事実である。だが、僕が「手を繋ぐ」ことにこれほど執着することには実は訳がある。
 高校二年の頃に、荒田君という友達がいた。本名では書かないでおく。荒田君は読書好きで、サボテンが好きだったりした。僕と彼が修学旅行で北海道へ行く班になった時、僕と彼は笑ってしまうことに、関係が悪化していたのだった。つまり、同じ班を組んだ頃は仲良かったのだが、いざ行く時には断絶が横たわっていたわけである。こういう関係の中の旅行は極めて憂鬱で、僕はおそらく二度と北海道へ行かないだろう。札幌を、班から抜け出して一人で孤独に歩いたのだから。その荒田君が、船の甲板で、「なあ、どうしたん?」といって、僕の右手に手を乗せたのだった。僕はそれを遮ってしまった。おそらく、彼は非常に傷付いただろう。外見では平静を装っている面もあったが、三年になると暴力的な生徒から露骨な攻撃(それは暴力だった)を受けていた。
 手を繋ぎ合うことは難しい。これが僕の世界に対する一つの巨大な哀しみである。僕は荒田と手を繋ぐべきであった。それは悔いである。荒田君の母親は翻訳者で、父は有名企業の重役で、幼年時代の彼はなんとアフリカの幼稚園に通っていたらしい。荒田君には双子の兄か弟がいて、自分よりも偏差値の高い学校にいて、時おり比較されることがある、と半ば冗談めいて笑いながら語っていた。彼との記憶、ここにおそらく世界を知る全ての秘密が隠されている。ひとは、いかにして、ひとと手を繋ぐべきであるか?小難しい哲学の本に真理は存在しない。真理とは、常に書かれた言葉の余白に、パレルゴンにのみ存在するからだ。あの彼の「なあ、どうしたん?」という、憐憫のような眼差しと、僕の手に彼自身の手を重ねる行為――彼は、あの瞬間のイエズス様だったのではないか?だとすれば、僕は何を苦しんでいたのか、友愛の接近を拒絶したのだ。
 カトリックの学校でも、暴力的な光景は多発した。しかも、それは暴力をむしろ制するべき存在者によって行われていた。ある教師が、一人の生徒の頭部を、おそらくは十度は、何度も何度も嬲るようにして本気で殴るという事件が起きた。誰も止める者はいなかった。彼は仏教徒だった。彼は漢文の教師だった。僕は仏教を批判しているのではない。だが、僕はどうしても頭の髪を剃った男性を見ると、彼の行為が幽霊的に意識をかすめるのを感じるのだ。その教師は精神病を患っていて、薬をやはり常用していた。カトリックの学校で、何故このような事態が起きたのか?それを教えてくれる存在はあの頃はいなかった。僕の高校時代の二年間を担任した教師には、怒ったら生徒の机を蹴る癖があった。それも、突然笑顔ともヘラヘラ笑いともいえない表情で、一言「おらぁ」といって強靭に蹴るのである。
 僕自身も、ある教師から、数学の問題で質問されて、答えられずに下を向いていると、「あんな奴は学ぶ価値がない。あんな人間はおいておいて、みんなで数学を勉強しよう」といわれたことがあった。これは事実である。直後に、一人の奇妙な生徒が、「価値がない」と独り言を囁いたのを記憶している。要するに、「カトリック系」などというのはただの、上品なマダムを誘う看板に過ぎず、実際は信仰の形骸化した、「監獄」であった。監獄という言葉は、僕の母校が学校という語と同義語で用いる典型的な表現であった。にも関わらず、校門にはドーム型の立派な教会が誇り立ち、校舎の頂上には聖母マリアさまの石像があるわけだ。讃美歌が廊下に流れ、毎週校長と、神父の宗教的講話があった。昼休みは中断され、運動場で囚人のように整列させられ――これらは「昼礼」と呼ばれていた――もしもピアスをつけたり、眉毛を必要以上に細くしたり、だらしない格好をしていると、当然だがまず注意を受ける。それを拒否すれば、笑顔で「お前が辞めてくれてもかまわないよ?お前は先生たちの大勢いるご飯の種の一粒なんだから。いつでも辞めてくれていいよ?」などと、妙に優しく諭されるのだ。中高一貫だが、僕は高校から入った。たった一年で、10人は自主退学か、退学させられた気がする。もし仮に教師を困らせると、特別な部屋で聖書をひたすら筆記するという罰が与えられた。これは僕にいわせれば、罰ではないものに罰という意味を付与させる暴力であった。聖書をノートに書き写す作業には重大な意味がある。もしもメチャクチャに書き殴りたいような気分に支配されている人は、創世記のバベルの塔の節や、ソドムとゴモラの壊滅の節を、物凄い速度で筆写すると、案外心が穏やかになる自分に気付くはずだ。
 僕は、もし自分に息子が生まれたとして、彼が「学校に行きたくない」といえば、無論、いうまでもないが行かせるわけがない。僕は学校、特に高校時代を美化できるいかなる要素も持ち合わせていない。あの学校は、学校ではない。あそこは監獄であった。あそこは、宗教的に人を混乱させてしまう。実際、僕は今の、地元で毎週通う慎ましく小さな教会ほど、自分の居場所を感じられるところはない。学校での、偽りに満ちた教育理念から逃れて、僕はようやく本当の意味で教会を見出したのである。それは、僕の中で、高校時代をエジプト捕囚期間と精神的次元で一致させるコードでもある。
 長々と「物語」のコードから脱線しているだろう。だが、温水プールでの「物語」よりも、むしろこちらの方が今の僕にとっては重要なのだ。
 僕は温水プールで、久保裕人という人物を描いたが、実はここに僕自身の、同年代の男性への根本的な不信が反映されている気がする。これを材料にして語ることにするが、僕は、実はあまり交友関係を広くは持っていない。中学時代からの親友はいるが、最近はめっきり音沙汰もない。高校時代の旧友とも、音沙汰は無くなっている。つまり、今の僕は、専ら教会で人間関係を見出しているのだ。その最大の存在は、シスター様である。告白するが、僕は教会にいる全ての信徒さんがたを愛している。徹底的に愛している、といっていい。男性不信ではないが、僕は、あまり社会での男性に信頼を置いていない。男性とは、本質的にソドムの民である。
 これを語る上での重要な根拠もある。一つ目は、高校時代の宗教を担当していた、ある神父が、「遊郭」について語っていたことに僕が失望したということにある。二つ目は、これは最大の来歴であるが、僕の祖父が高校時代に僕の妹を陵辱した、という事件に基づいている。妹は何をされたか今でも完全に押し黙っているが、その夜の母の絶叫、祖父の無責任な態度から、僕はある一つの真理を悟った。“僕の世界には、「大文字の父」は存在しない”と。存在しているのは、常に母性的な主イエズスさまであり、シスターさまである。無論、僕には感謝すべきことに、心から大好きだといえる神父様がいる。ただ、高校時代のその神父は、生徒に少なくとも「姦淫」を斡旋するほどに、前宗教改革期の時代を生きていたということだった。彼がそれをほのめかしたのは事実である。
 僕の頭の中には、男性というものは存在しない。コーネルを、少し彼女を安心させてやりたい気持ちがある。それは、ある青年においては、男性とはmanという小文字に過ぎず、世界で活動し、世界を先進的にリードしていくのは、これからも絶対的に、WOMENだということである。ラカンは、定冠詞のついた女性は存在しない、つまり女性は男性に従属した存在としてしか存在しない、と述べた。有名な、「女性は存在しない」という文脈において意図されているのは、manの支配であり、父性構造の権力であり、manが真理だということである。ラカンに対して、僕は少なくとも現段階では以下のように述べておこう。「逆ではないか?」と。
 カトリックというのは、実は母性的な世界である。無論、女性の神父は存在しない。だが、シスター様が存在する。僕は常にシスター様の声に従う。僕の法、掟とは、シスター様から到来する。僕が愛しているシスター様は、高校時代はカトリック系の女子高校に通い、20歳で洗礼を受け、26歳で修道院に入った。本当は高校時代に洗礼を受けたかったと聞き、僕はシスターさまが若い頃から主に導かれていたのだと改めて知り、尊敬を強くした。神父さま自身が、実は母性的である。イエズス様が、そのような慈愛に溢れた御方だったからだ。僕が愛するのは、愛することができるのは、イエズス様のような男性だけである。
 時おり、日本の路地裏を歩いていて、神社という場所を目にすることがある。カトリックはそこに入ってもいいが、参拝しない。僕の中には、日本的な宗教的規定が微塵も存在していない。無論、僕の家には仏壇がある。だが、それは両親が設置したものである。僕はカトリックとして世界に有る(sein)。極東の島国でカトリックであることは、様々な地理的困難、家庭的葛藤を経験するものである。だが、僕は第一次世代となるだろう。僕の娘が生まれるとすれば、彼女はこの上なく幸せなことに、生まれながらに洗礼名を有するのである。それは何と素晴らしいことであろうか!僕は始まりの世代になるのだ。幼児洗礼を受けずに、21歳で受洗した僕は、21世紀の日本の新しいカトリック世代である。僕の存在論的規定とは、「カトリックで有る」。カトリックは伝統的であり、最も歴史があり、文化があり、そして唯一の救いである。
 プロテスタントや、その他のキリスト教の一派には、僕はその教義においてほとんど関心がない。カトリックこそが全てである。そもそも、カトリックというのは、大部分の日本人が誤解しているのに反して、「宗教ですらない」。カトリックとは人間の生き方そのものである。「宗教やられてるんですか?」という信じられない質問は、イエズス様を一人の宗教家に貶める発言である。カトリックは宗教ですらない。それは生活そのもの、世界である。
 では、魔女狩りとは何であったのか?これは、当時のカトリック教会の罪であろうか?教皇直属の機関として存在した異端審問所では、ありとあらゆる拷問が実践された。その被害者の大部分は、女性であった。僕は今、一人のカトリック信徒として、当時のカトリック信徒たちに向けて語るが、貴方がたがどれほど正しい教義を持っていたとしても、人を焼くこと、つまり殺人とは大罪である。もしもそれを教皇が認可していたのであれば、教皇も煉獄へ向う必要があったろう。カトリックは、魔女をも赦す愛の寛容さを持たねばならなかった。カトリックではない者をパレルゴンへと追放することは、男性的な支配構造の表出である。だが、おそらく僕にもそういったカトリック的な権力が既に働いているだろう。逆にいえば、それだけ僕の周辺には、つまり家族の単位においても、信仰の仲間がいないのである。教会には無論いるが、作家志望者で、かつカトリックでもあるとなると、これはそれほど多数派ではないだろう。そして、おそらく若手のカトリックは、僕を批判し始めるだろう。つまり、「貴方の言葉には断定的な側面があります」と。だが、20代で洗礼を受け、現在も20代である人間は、僕の信仰上の様々な困難は察してくださるはずだ。一つだけ確信して断言できることがある。人間は信仰なしでは生きられない、ということだ。無神論の人間は、別の次元で神の概念を再現前化させているだけに過ぎない。カトリックのような、やさしい白薔薇に溢れた女性的な世界こそが、真理である。

 



 Ⅳ 「温水プールから、自室へ」

 



 翌日、僕は激しい喉の痛みに襲われながら起床した。父からの手紙の返事は冷たいものだった。だが、僕にはイエズス様がいるので、別にこの現実世界での父親がどのような人間であってもかまわないのだが。僕はレオナルドの《聖ヒエロニムス》を今、眺めている。彼の表情の意味が僕にはよく解る。彼は、誘惑と闘っているのでも、孤独に支配されているのでも、世間に蔓延る怖ろしい悪事に悲嘆しているのでもない。そうではなくて、彼は「自分の居場所が見つからない」という重たい十字架を背負っていたのだ。
 何のために書いているのか、正直自分でもよく解らない。どうせまたWebにこの作品を投稿し、そこで露骨な悪評を受けるだけなのに。はっきりいえば、僕には自分が何を書けばいいのか解らないのだ。そして、デビューするという意志もないのだ。ただ、何故か書いている。生きるために。
 19歳の頃、ある投稿サイトで出会って、現実に東京で三日間歩いた少女は、元気にしているだろうか?電話で、一体僕らは何度「会ったらkissしようね?」とか、「ギュッてして」とか囁き合っただろうか。声だけの場合、どんな男性でも「声だけホスト」になるし、どんな女性でも「声だけホステス」になれるわけだ。彼女は不登校で、学校教育に失望していたが、この上なく知的な読書家だった。僕は今でも彼女を尊敬しているし、彼女の存在との、たった三日間だけの記憶を大切にしている。
 彼女は作家になったろうか?今、彼女は18歳のはずだ。あの時の僕は19で、彼女がなんと16だった。16である。16の少女に、僕は何をしてしまったのだろうか。映画館で「ダ・ヴィンチ・コード」を観る前に、廊下で誰もいないのを確認して、僕は勇気を振り絞って「kissする?」といった。だが、彼女はそれを間接的に拒んでいた。「不純なことはダメってお母さんがね」などと。別にkissくらい減るもんでもないからいいではないか、と僕は思ったのだろうか?案外、冷めて「あっそ。約束と違うんだね」と内心では失望していたのかもしれない。Kissくらいティーンの頃に卒業した方がいい、と僕は何度か心の中で苛立ちと共に感じてきたが、22歳になろうとしている今、そんな気力も最早ない。だが、あの少女は謎めいている。もう一度会ったら、彼女はおそらく僕にこういうだろう。「まだそんなところにいるの?サトくん」
 彼女は「絶対に私は作家になるから」と断言していた。それは確信であった。十代で創作する者の大半が、未だにどこかで自分を天才だと信じているものである。だが、じょじょに自分がどういう存在であるか理解できてくるのだ。日本で生まれた時点で、既に天才作家になることはできない。日本は、あくまで世界文学にとってのパレルゴンなのだから。
 電話で、僕は一度「理香を俺の膝の上に乗せて後ろからkissしていい?」と質問したことがあった。理香は(これは本名ではない)、あまりにもアッサリと「うん」といった。だが、リアルではそんなことは起きなかった。起きたのは、理香が「母親と会って」と涙を流す光景――「なんでわたしと話す時に下向くの?」という、ほとんど敵意のような彼女の眼差しである。
 はっきりいえば、僕は理香の最初の男になりたかった。今思うのは、16の頃、Webで出会った見知らぬ男に映画館の廊下で「kissする?」といわれた不登校だった少女は、その後どのような男性観を持つのかということだ。今の理香は学校に行っているらしいので、既に僕のことなどは綺麗さっぱり忘れているだろうし、それでいいが、少なくとも僕は彼女に「kissする?」といったのだ。僕はそれをいった。これは罪だったのか?何故日本では、こんなことさえもが…。
 僕は今も、メシアンを流している。メシアンのオルガン曲《キリストの昇天》だ。メシアンはカトリックの作曲家だ。不思議な音楽だ。懐かしい古い教会の片隅で見た、幻影のような天使像、といった言葉がメロディーから浮かんでくる。この作品を書いている時、僕は実は、ずっとメシアンの《キリストの昇天》の第二曲「天国を希求する魂の清らかなアレルヤ」のみを聴いてきた。本当に、この一曲だけに限定して書いた。今も流している。久保裕人との、削除したくなるような下らない会話を綴っている時も、冒頭でC・D・フリードリヒについて書いている時も、僕はメシアンを耳にしていた気がする。この作品の外には、メシアンのあのメロディーがある。それは静謐な、誰も知らない森の奥に仕舞い込まれた鍵のような音楽だ。メシアンが、テクストの余白に存在してくれるおかげで、僕は今も書くことができている。余白には、目には見えない楽譜があるべきなのだ。

 僕は温水プールへ向った。だが、既に閉館になっていた。昨日が最終日だったらしい。玄関口には、「工事開始日 8月21日」とあった。改装されるのだろうか?更地に戻すのか?いずれにせよ、夏休みが終わるくらいまで、ここは「無人の建造物」である。だが、無人、とは一体何なのだろうか?むしろ、僕には慌しい地下鉄の通勤ラッシュの光景が、無人地帯に見えるが。
 不思議なことに、裏口の非常扉がわずかに開いていた。中を覗くと、奥に光が溢れ出ていた。室内プールに繋がっている、吹き抜けの廊下から射す陽光だろう。僕は無邪気さと、神聖さを「作り出す」野心で、中に入った。やがて更衣室を抜け、プールサイドに到着した。水は全て抜かれており、空虚な穴がぽっかりと開いていた。僕は不意に、ここが舞台裏かもしれないと思った。物語の余白、精緻なプロットという権力によって外部へと追放された、無意味で亡霊的な舞台の裏側。僕は力尽き、その場に座り込んだ。誰かが土足で入り込んだのか、床に土が付着していた。水がないことが奇妙にも寂しかった。すっかりプールではなくなったのだ。水のないプールで水死することは可能だろうか?ぽっかりと開いた、水のない水槽の中で、一人の青年が「水死」することは?
 排水溝の穴は北と南にそれぞれ一つずつあったが、それは小さかった。あれだけの莫大な量の水を、この双子の姉妹が吸い込んでしまったのか?残っているのは、乾涸びたような底面の乾燥した表面だけだった。
 不意に、「アウシュヴィッツの後にも詩はある」といっていたリヒターの日記の言葉を想起した。アウシュヴィッツ以後にアドルノから無罪放免されて文学として通用できるのは、おそらく世界中で10にも満たない作家たちだけだろう。僕はそもそも、アウシュヴィッツを文献と写真、そして映像からしか知らない。スピルバーグのあのポピュラーなハリウッド版シネマは、ショアー研究者から虐殺を一つの「お涙ちょうだいの悲劇」に仕立て上げたとして、現在も頗る評価が低い。スピルバーグは、ただ娯楽映画だけを作っていれば良かったのだ。ランズマンのドキュメント映画『ショアー』にも批判はあるが、評価している学者もいる。だが、僕はやはりユダヤ人たちの悲劇を、一つの映画にしてしまうことは、世俗化したヒューマニズムの暴力だと考えている。
 また、僕は再び笙野頼子のことを考えてもいた。笙野自身が代表作だと規定する『金毘羅』の雰囲気が僕は好きだ。あの作品の内容というよりも、僕は「一人の女性が、自分のことを書く」というその行為に、何か自信を与えられるのだ。笙野はあの作品で、少女時代での半ば嫌な思い出などにも触れている。男子生徒への敵意のようなものは描かれているが、その奥に、作家としての自己定立への自負も感じられ、僕に印象を与えた。笙野の、愛猫との生活を描いたエッセイ風の私小説(とはいえ、イマジナリーなコードも介在する)にも、僕は癒しを感じる。そうだ、小説はこんなんでいいのだ、というある種の安堵感とも妥協ともいえないものを感じるわけだ。
 「こうあらねばならない」という芸術の理念のようなものは権力である。ハイデガーのいっていることは、その極端な露出である。ハイデガーと笙野を足してカクテルにしてお湯で薄めて飲むのも大切なのだ。僕には笙野の本が必要である。無論、今後も僕は彼女を批判するだろうが、基本的に僕は笙野という作家の存在に巨大な安心感を抱いている。笙野は今、遅れ馳せに『千のプラトー』を読んで、自分を再発見しているらしい。ネグリ問題などにも言及しているくらいだから、昨今の現代思想上の出来事について、おそらく週単位で確認しているのだろう。先日の『論座』の「特集:笙野頼子」で、彼女が写真で映っていた。自分の「書く」という仕事に、「誇り」を持っているような笑顔を浮かべていた。僕は彼女が好きになり、そして、批判せねばならないと思った。
 これまでそれほど多くの女性作家を読んできたわけではないが、笙野はその中で最も特異で異常で、革命的だった。江國香織の短編集『泳ぐのに安全でも適切でもありません』(あのホッパーの有名な海辺の絵が表紙だ)の中の「サマーブランケット」も、僕の中では極めて大切な木漏れ日のような、それこそ教会のような場所になっている。一人の女性が、海辺の家で暮らしている。砂が玄関に入ってくるので、掃除しなければならない。犬もいる。若いカップルも遊びに来て、お喋りする。時おり、哀しい過去が脳裏を過ぎる。海辺の生活はそんな感じで、ゆっくりと過ぎていく。その一日を「断片」的にデクパージュした作品だが、僕に巨大な安らぎを与える傑作になって久しい。あの短編を書いていた時の江國香織の感性の「穏やかさ」は、ハイデガーが逆立ちしても真似できないだろう。
 僕の中で、「貴方の好きな女性作家は誰ですか?」と質問されれば、僕はおそらく男性には「ウルフです」と答えておくだろう。だが、これは真実ではない。ウルフも好きだが、本当は笙野や江國が結局は全ての青年にとっても大切な遺産なのである。
 ここで一つ、告白しておくが、僕が実はアンドリュー・ワイエスとゲルハルト・リヒターに関心を持ったのは、ある(おそらくはアマチュアの)オンラインの女性作家のHPがきっかけだった。かなり賢い女性だったと思う。好きな画家に、女性で「ワイエス、リヒター、ロスコ」を選ぶこと自体が、僕にとっては「かっこいい女」のシグナルではある。その女性のHPでの紹介がなければ、おそらく僕はリヒターの画集も、ワイエスのアメリカで出版された数冊の画集も手に入れなかっただろう。僕はマイナーな、わりと一般的には知られていない画家をずっと探していた。そして、そういう画家について詳しくなりたかった。その女性は、ワイエスを心から愛しているようだった。ワイエスは、幼少期から内気で、学校教育を受けず、自宅に篭って画家の父から絵を教わった。ワイエスが「ニート」という言葉を知ったら何というだろうか?「私のことでしょうか」と、きっと穏やかな微笑をもって返すだろう。
 ワイエスには、(ワイエスを愛するファンにはいうまでもないから恐縮だが)ヘルガというシリーズがある。ドイツ系の農婦で、ヘルガという女性を描いた絵があるのだ。普通、それだけなら別にウィキペディアで紹介されたりはしない。だが、ワイエスはヘルガを描き続けたのだった。だから、ヘルガ・シリーズとして、『ヘルガ』という画集も刊行されている。ヘルガはブグローが愛したような端正な女性ではないが、ワイエスがたった一人の女性をこれほど愛情深く描いたという事実に触れただけで、僕は世界に神が存在することをこの画家が証明していると確信する。ワイエスは、ヘルガを描き続けた。同じ女性を何度も何度も描くこと、僕はその画家の眼差しに、愛の最も美しく洗練された結晶を見るような気がする。
 
 僕は、自分が今書いているこの作品は、物語として破綻していると思う。だから、きっとこれを文学賞に応募するなどということはできないだろう。それでなくとも、どうせWebでは多くの人が、僕の作品をけなすことは目に見えているのだから。もしも「物語」を作り、プロットを優先させることが作家の条件であるならば、僕の作品はその余白に位置するだろう。僕はこの作品で、指が動くままにキーボードを打っているのだから。だが、僕はとりわけ、Ⅳ「翌日」というこの章で、笙野と江國について綴った辺りから、何故か心が平穏さを緩やかに取り戻していくのを感じた。そういう作家こそが、実は最も大切ではないだろうか。
 僕は不意に、昨日は7のコースで少女が優雅に水泳していたことを想起した。だが、今は全てが廃墟で、空白だ。僕はやがて引き返し、温水プールの残骸を後にした。

 



 Ⅴ 「自室から、ハイデガーへ」

 



 温水プールから、僕は自室へと戻った。メディアでは、秋葉原で起きた連続殺傷事件についての報道がされていた。この事件で殺害された21歳の女性は、僕と年齢が同じであった。19歳の少年二人もいたという。犯人の25歳の男は逮捕された。事件から既に三日は経過したが、一つ書いておきたいことがある。よく小学生が、平穏な笑顔で、「ねえ、どうしてひとを殺しちゃいけないの?」という質問をするそうだ。この国で前に起きたある事件で、犯人の少年がそういったという話を聞いたことがある。これについて、僕なりに考えておきたい。といっても、僕はこのⅤ章については、ある程度若い年齢層を想定して書いている。おそらく倫理的にこの質問の意図を解釈できるひとは、既に自分で答えを持っていると思うのだ。そして、21歳という今の僕の年齢で、このあっけらかんとした問いは、むしろ幼稚ですらある。
 まず、「何故ひとを殺してはいけないか?」だが、これは十戒に「汝、殺すなかれ」とあるからだ。これが僕は答えだと考える。というのは、十戒というのはユダヤ教徒だけに限定された掟ではなく、全てのひとに、国家、民族に関わりなく与えられた神の法だからである。そこで、次にこのような問いがおそらく発生するだろう。「神?神なんてニーチェ以後には死んだも同然ではないの?」この問いについては、「神が死ぬ」という表現が神学的にはトートロジーに陥っている、という返答が可能だろう。というのは、神は生死を司るのである。「主は与え、主は奪われる」とヨブ記にもある。「神が死ぬ」というのは、「A氏が死去しました」というようなレヴェルでは発生しない。これは、ニーチェが西洋形而上学がキリスト教との癒合形式から決別した、という一種のメルクマールに過ぎない。ハイデガーは、「ニーチェの命題“神は死せり”は、道徳的な神であるに過ぎない」と述べている。「神が死ぬ」という命題は不可能である。
 「何故ひとを殺してはいけないか?」という問いには、このように既に答えがある。この問いを投げかける者は、その答えを知らないだけに過ぎない。では、逆に「ひとを殺す」罪を犯した人が聖書にどれほどいたのか、という問題にシフトしよう。起源としてはカインである。
 レヴィナスは「殺人は不可能である」という概念にまで到達したといわれている。何故か?他者というのは、次にどう動くのかが未知数である不思議な存在者である。ある者は、恋人への強い愛ゆえに、その恋人を殺すこともある。レヴィナスは、このように本質的に予測不可能な存在者としての他者は、絶対的な無限性の概念に帰属すると述べた。これを「顔」という。「顔」は神秘的なものである。「顔」は、常に「わたし」が生まれる前に存在していた。僕が最初に目を開けたときに、初めて目にしたのは母親の「顔」である。他者の「顔」は起源に存在する。この「顔」は神聖なものであり、不可侵である。つまり、レヴィナスにとって、「顔」とはユダヤ教的な「無限」を意味する「神」なのだ。これは「神の御顔」という意味ではない。そうではなくて、路上で擦れ違う人の「顔」が、「神」に属すると彼は断言しているのである。これは、実は衝撃的なまでに美しい倫理学である。
 「殺人」というのは、他者の命を奪う、ということだけを意味しない。まず、「殺人」とは「顔」への侵入を意味している。カインがアベルを殺したのを見て、神は「何ということをしたのか」と確かにいったと創世記に刻印されている。「何ということをしたのか」という神の御声は、実は堕罪したアダムとイヴに対する神の第一声でもある。これは「罪」の生起を意味している。
 「殺人」というのは、他者の「顔」という絶対的な聖域への侵入である。「顔」とはレヴィナスによれば、神の本質なのだ。これは、レヴィナスその人が戦後最大のユダヤ系哲学者であることともリンクしている。彼が「殺人は不可能である」というのは、被造物である我々が創造主を殺すことができないことを意味している。神は、レヴィナスのこの上なく天才的な表現を借りれば、「涙を流す孤児たちの顔」として到来する。
 僕がここでいいたいことは、三日前に起きた秋葉原での連続殺傷事件の本質とは何か、という問題である。それは、「顔」である。
 このような事件は、実は聖書に既に何度も描かれている。例えば、ソドムとゴモラの街について考えなければならない。あの街ではあらゆる悪が蔓延っていた。おそらく、三日前に起きたような凄惨な事件は、日常茶飯事であったろう。僕はここで、あの事件の意味を創世記のある章へと還元しているのではない。だが、僕はここでいっておきたい。イエズスならば、三日前の事件を目撃すれば、何というか?これこそが最も重要な命題である。
 それを知る上で大切なエピソードがある。罪の女に対して、多くの人が石打の刑に処そうとしていた時に、イエズスが現れた極めて名高い、そして革新的な箇所である。イエズスのその時の台詞は、この上なく神聖である。罪の女が犯していた罪は、(ヨハネには彼女がマグダラのマリアであると断定できるような記述はない)姦淫であった。姦淫とは、十戒で殺人と同じく大罪として規定されている。「汝、姦淫することなかれ」と神がいったのだ。
 僕はここで、一つ考えるべきことがある。ある一人の青年が、10人もの人間の命を奪ったとする。そして、逮捕され、死刑が確定したとする。彼は死ぬ間際にいう。「主よ、私は取り返しのつかない罪を犯してしまいました。主よ、私は地獄へ堕ちるでしょう。でも、最期に一度でいいから、私を赦してください」もしも、彼がそういって、神の前に立ち返れば、おそらくイエズスさまはこういうだろう。
 ――私は貴方を裁きはしない。私は裁くためではなく、世に救いをもたらすために来たのだから。
 「私は貴方を裁かない」と「私は裁くためではなく、世に救いをもたらすために来たのだから」というのは、ヨハネからの引用である。シスター様も、きっとこういうだろう。主は、100人を虐殺した恐るべき人間でさえ、彼が自分の十字架を背負い、主にしたがって祈るならば、彼を「赦す」のだ。赦されない人間などは、ただの一人も存在しない。シスター様が僕に、二度涙ながらに語ってくださったエピソードは、僕のわかりにくい説明よりもよほど素晴らしいものだった。
 シスター様の知っている神父様が、死刑を待つ囚人に赦しを与える仕事をしておられた。この仕事の名前があったはずだが、罪深いことに、僕はそれを失念している。だが、死刑は行われるのである。それは、神父様も彼も知っている。最期に彼の母親が来た。それまで虚ろだった彼は、その時、どんな行為を取ったのか?ここにシスター様が僕に教えてくださった、愛の本質がある。彼は、その場で泣き崩れ、母親に「お母さん」と叫びながら抱きついたという。母親は罪を犯した息子が死ぬことを知っている。そして、彼女は同じように息子を涙ながらに抱き締めた。実は、この母親が神なのである。神とは何か?という問いに、僕はこれに勝る答えを知らない。
 
 シスター様は、そうおっしゃられた。その時のシスター様の瞳は、涙で潤んでいた。そして、おそらくその現場にいた神父様の感銘は、深いものがあったと思う。僕は、神の本質を「愛」以外に知らない。前に、ある韓国人の青年が、日本で線路に落ちた人を救い出して、自分は跳ねられて死去したという報道を知った。これと同じようなことを、ある神父様も話しておられた。ある母親が踏み切りの奥に入ってしまった娘を助け出すために、自分の命を犠牲にしたと。イエズス様のなされたことは、これと同じことだった。
 例えば、物凄い憎い人がいるとする。彼が踏み切りで転んでしまい、もうすぐ電車が来る。僕はどうするだろうか?僕なら、逃げるだろうか?それとも、お前などは死んでしまうがいい、と笑うだろうか?イエズス様は、多くの者から悪罵され、憎まれていた。その嘲笑は、痛々しい十字架上でも続いた。「お前が神の子なら、そこから下りて来い」と。だが、イエズス様は、彼らにこそ愛を振り向けたのだった。イエズス様は、世の罪を贖うために受難に自ら向った。そういうことを、僕はできるだろうか?路上で、突然顔に唾を吐かれるとする。誰もが憤り、怒りと哀しみに襲われるだろう。その彼のために、自分の命を捧げられるだろうか?心底憎い人のために、自分の命を犠牲にできるだろうか?
 より内部へと入ろう。あの三日前の事件で、犯人の彼が、踏み切りの中にいたとする。もうすぐ電車が来る。この時、我々はその「死」を「天罰だよ」などといって笑うだろうか?「当然だよ。どうせ死刑になる奴だったしね」などと?イエズス様が取る行動を僕は信徒として以下に明記しておく。イエズス様であれば、彼のために間違いなく死ぬ。だが、現代世界において、一体誰がそれをできるだろうか?「自分の居場所が無い」ということを、神父様さえもが告白してくださる現代世界において、確固として僕にそのような行為が取れるだろうか?その一瞬で、これまで生きてきた全ての信念が試される。御子は、まさかと思う瞬間に訪れるからである。罪を犯した者のために、その罪を贖うために自分の命を犠牲にすること、イエズス様の場合は、この「罪」が複数形で全人類にまで拡大しており、贖いは激痛を伴うものであったということである。ベーコンの《磔刑》の絵に僕が批判的であるのは全てこのような理由に拠る。

 気になっていることがある。おそらく、これはハイデガーが策略的に計画したニーチェへのオマージュであろうが、「最後の神」という概念である。ハイデガーについて、僕は告白するが、認めたくないにも関わらず、やはり本当にこの男は正真正銘の天才であったとしか考えられないような瞬間がある。特に、『ブレーメン講演』と『哲学への寄与論稿』でそれがよく伝わる――否、伝わるのではない、それは落雷である。僕は特に、『ブレーメン講演』を読み終えた時の衝撃、というよりも読んでいるさ中の精神状態を自分で思い返すが、怖ろしい。ハイデガーは原子爆弾の炸裂について論じた後で、気だるそうに、一言「死すべきものどもとしての人間は、いつかは物になる」と宣告する。これに強烈な反論を展開したのは、若かりし日のPh=ラクー・ラバルトであった。そのラクー・ラバルトも、「ナチズムとはヒューマニズムである」と宣告し、多くの研究者にセンセーションを放った。だが、ハイデガーは、断言するが、僕にとって「魔王」である。この男は、人間ではない。
 ハイデガーには、怖ろしく冷酷な視点が存在する。彼は、死んでいる子犬を見て泣いている少女に向ってこういう。
 ――君の涙にはいかなる意味もない。何故なら、それは物だからだ。
 ハイデガーに拠れば、「死ぬ」とは、存在了解を持つ存在者がプラスティックな次元におけるような「モノ」へと存在論的に移行するだけの機会に過ぎない。あれもやはり『ブレーメン講演』であったが、その講演の中でハイデガーは、「コップには何故穴があいているのか?空洞であるとはどういうことか?」について異常なほど関心を示している。僕は彼に敬意を表している、その頭脳に。だが、ノイマンが倫理的にエラーを持った人格の持ち主だったように、ある種の天才は性格が常に破綻している。ハイデガーもその例外ではなかった。ハイデガーは『哲学への寄与論稿』では、「最高度の高揚は、常に神を殺すことであらねばならない」などとも確かに綴っている。
 ハイデガーは、名高い『ヘルダーリンの詩作の解明』の中では、「神の現有とは雷雨である」と断言する。神とは、ハイデガー・ヘルダーリンのユニットにとっては、常に既に雷雨であり稲妻であり竜巻であり火事嵐である。それは「襲撃する」。それは、従来の諸価値を転回させる。最も僕が精神的に危険な興奮状態に陥るのは、極めて悪名高い彼の『ドイツ的大学の自己主張』の最後の刻印だ。「全テ偉大ナルモノハ、嵐ノサ中ニ立ツ……。」
 確かに、ハイデガーは常に嵐のようであった。異論があろうか?C・D・フリードリヒの有名な《雲海を見下ろす散歩者》という絵がある。あの絵の被写体は、あらゆる意味においてハイデガーである。あの絵は、シュピーゲル誌の戦争の記憶を回顧する特集号の表紙絵を飾った。(そこにはハーケンクロイツも並んで描かれていた。フリードリヒは利用されたのだ)。
 「全テ偉大ナルモノハ、嵐ノサ中ニ立ツ……。」それを初めに書いたのはプラトンである。つまり、ハイデガーは引用しているのである。確かに、プラトンは天才的な芸術家は常に「憑依される」ようなデモーニッシュな感覚で書くと記している。ニーチェはディオニュソスに「なった」。ハイデガーは何になっていたのか?彼は、全ての哲学に終止符を打ち、再びジェネシスへ、つまり創世記へ帰還したかったのか?『有と時』とは、実はアンセルムスの『モノロギオン』と同じく、創造論である。ハイデガーは若い頃、神学者を目指していたのだから。
 天才的な人間に共通している一つの側面がある。それは、雷雨である。黄色の絵の具を飲めば、絵がより深化すると信じたゴッホは間違いなく天才であった。ナチスの政治理念を、一つの神話とみなして評価したハイデガーは間違いなく天才的だった。エナメル線のような電撃的な「線」で自分の肖像画を描いた若き青木繁は間違いなく「魔王」であった。ポケットから小石を取り出す行為の組み合わせだけを展開したベケットは、間違いなく革命的で異常であった。これら先行する書き手どもは、僕の魂を襲撃し、圧倒し、蹂躙する。だからこそ、僕は宣告する。穏やかになりなさい。やさしい木漏れ日になりなさい。全て本当に大切な芸術は、おそらくサマー・ブランケット的な海辺を核とする。ひとは海辺にならねばならない。静謐な波打ち際で、嵐ではなく凪を見つめねばならない。魔王どものデモーニッシュな芸術規定は、エルゴンの権力構造に過ぎない。これらはファロス中心主義的である。最も大切なものは、「これである」「あれでなければならない」という規定の外に位置する。つまり、僕は語るべきではなかったのだ。おそらくは。一つ読者に嘘をついていた。ずっとメシアンを流していたといったが、この章の後半だけは、今はライヒの《砂漠の音楽》を聴いている。

 

 

 


 

(了)