ハイデガーとナチスとの明らかな関与、それは西欧思想を未だに呪縛し続けている彼の研究者が、往々にして対峙せざるをえない最大のアポリアといって良いだろう。
まず、我々が念頭に置いておかねばならないことは、彼が『有と時』を発表した年代である。
これは、1927年である。
次に、彼がフライブルク大学の総長になったのが、1933年である。
他方で、ヒトラーが国民社会主義ドイツ労働者党の指導者となり、突撃隊を組織したのが、1921年である。
その後、承知の通りだが、ミュンヘン一揆、世界恐慌と続き、ナチス政権がドイツの政治を掌握したのが、1933年である。
これは、ハイデガーの総長就任演説と同じ時期であるのみか、彼の演説「ドイツ的大学の自己主張」自体が、ナチス政権への共鳴として成立している。
この演説のラストで、ハイデガーはプラトンの「全て偉大なるものは、嵐のさ中に立つ」というテクストを引用していることは、どうしても記憶に留めておかねばならないだろう。
ポーランド侵攻が1939年であり、第二次世界大戦の口火がこの時期であるが、これはちょうど、ハイデガーが『有と時』よりも重要といって良い衝撃的な問題作である『哲学への寄与論稿』を密かに執筆していた時期「1936-1938」の直後である。
また、ナチス政権が壊滅し、戦争が終結する時期に書き上げられた「捕虜収容所での対話」、「アンキバシエー」、「塔」を含む『野の道での会話』の成立年代は、1945年である。
この時期におけるハイデガーは、まず手短に述べると、「Verwustung(無化/砂漠化)」という概念に極めて鋭い思索を見せている。
しかし、問題なのは、奇妙にも「捕虜収容所での対話」の舞台が「ロシア」であり、ハイデガー自身が絶対に思考せねばならなかった「アウシュヴィッツ」では無かったという点である。
これは、後年になって若きラクー・ラバルトのハイデガー論『政治的な虚構』などで激しく糾弾されている。
戦争が終り、10年ばかり経過したハイデガーは、1955年に「有への問へ」という論文をエルンスト・ユンガーの『線を越えて』への寄稿という形式で発表する。
このそれほど長くはない論文は、「有」に十字架の抹消を施して、×印を付されしseinが登場する、おそらくは最初のテクストである。
これは端的に、人間が「有る」という認識を忘却するという、いわゆる「seinの忘却」という存在範疇を、パースの記号表現的なスタイルで表したものである。
こうして示してみると、明白になるが、「×」という印には、その文字を四つに裂け開くという操作を持っている。
ハイデガーはこれに着目し、「四方域」の区分が、この「×」による空間の分割によって生起していると述べる。
「四方域」とは、『ヘルダーリンの詩作の解明』(1943)に詳しいが、「天空」―「大地」、そしてこれに対応する「神々」―「死すべき者」という十字交叉によって開示される、彼の思想の心臓部分である。
老年のハイデガーは、「静寂境」という、いわば「有」の安らいへと到達し、賢者的な幕を下ろすわけだが、我々21世紀の青年は、老年の彼を意図的に捨象せねばならない。
何故なら、彼の人生における最大のエラーは、明らかにナチスとの関与にあるというしかないからである。
悪に瞼を閉じる時、ひとは最もイエス様から遠ざかると考える。
我々は、ここで今一度、ハイデガーに対して告訴状を提出するべきである。
その告訴状は、ハイデガーに対する批判だけでなく、ハイデガー的な思考回路に陥る危険性のある全ての青年たちへの、我々なりの批判なのである。
「あなたは何故、アウシュヴィッツについて沈黙し続けたのか?」
これが、ハイデガーへの告訴状の核心といっていいだろう。
ただし、付記しておくが、ハイデガーがヘルダーリン論と並んで、アウシュヴィッツで両親を亡くし、人間の悪を糾弾し続けた20世紀最大の詩人の一人であるパウル・ツェラン論の執筆を思案していたというのもまた、事実である。
ツェランはまた、ハイデガーの熱心な読者でもあった。
ハイデガーが具体的に、ユダヤ人サークルと関連のあった大学の同僚を、その総長の権力によって意図的に追放したという記録も残っている。(仔細はラクー・ラバルトが既に報告しているが、その報告の仕方は、大方ハイデガーを謳歌しているようなものであって、とうてい容認できない)
ハイデガーの父は彼の出身地メスキルヒの村の牧師であり、彼の弟も教会に近しい者であった。
だとすれば、ハイデガーが「ナチスへの参与」を「自戒しない」という状況はおよそ想定不可能である。(ハイデガーの『有と時』のプロトタイプである論文『ナトルプ報告』が、キリスト教神学論であったことを想起せよ)
彼は、おそらく記録には残っていないだけで、ナチスへの参与を反省したと私は考えている。
しかしながら、彼は哲学者である以前に、文字を操る職人であり、すなわち著述業を営んでいたわけであるから、少なくとも「テクスト」において、その反省の態度を明確に示す必要性はあると考えるべきである。
また、彼は確かにナチスの崩壊後、総長職から追放され、幾多の批判を浴びせ続けられたが(それは未だに継続されているのだが)、アウシュヴィッツでの出来事についての記録を我々は知らないし、そのような意図を明確に示した著作すら存在していないと想われる。
アウシュヴィッツといったが、実はヒロシマ・ナガサキに投下された原子爆弾についてであるならば、彼は確かに見解を述べている。
それは、ほとんどいかなる災禍にも平然としているハイデガーですら、戦慄するほどの衝撃であったようだ。
戦後、学界からの追放により窮地に陥っていたハイデガーの「起死回生」と称されている『ブレーメン講演』が、それを明かしている。
「原子爆弾の爆発とは、物が虚無化されるという事態がとっくの昔から生起してしまっているということを確証するあらゆる粗暴な証拠のうちの、最も粗暴な証拠でしかない。
この場合、物の虚無化とは、物が物としては虚無的なままにとどまる、という意味である」
ここで、我々は憤慨すべきである。
というのは、終戦直後、あれほど「無化」に対して「不安」を対話編において告白していたはずのハイデガーが、ここではなんと開き直っているばかりか、全く人命については言及せず、ひたすら「技術による虚無化」へと還元してしまっているからである。
「鏡とブローチ、本と絵、冠と十字架もまた、物である・・・(中略)・・・死すべきものどもとしての人間だけが、世界としての世界に住まう。
世界にもとづいてつましくも柔和であるもののみが、いつかは物となる」
これは、ハイデガーがこれまで記してきた中で、最高度に卑猥で暴力的なディスクールといって良い。
ハイデガーは、何を意図してのことか、コンテクストだけを純粋に繋げると、以下のように表現するわけだ。
<原子爆弾で多くの人が死んだ→人はいずれ死ぬ→彼らが死んだのは技術的な虚無化による>
アウシュヴィッツで起きたことを、それではハイデガーは沈黙にふしたのか?
否、実はそうではなかった。
ただし、これはあまりにも表現が生々しく、かつ極めて「悪意のある威力」を感じるものであり、問題的なのである。
しかし、あえて引用せねばならない。
「農業は現在、機械化された食品工業である。
その本質に関しては、ガス室や殲滅キャンプにおける死骸の製造と同じであり、経済封鎖や国家の兵糧攻めと同じであり、水爆製造と同じである」
ここまできて、ようやく我々は、ハイデガーという人物の暗黒面に触れる。
我々にとって未だに背筋が凍りつくほど衝撃的であるのは、彼が一度総長職を喪失し、悪罵と中傷を受けつつも、ようやく執り行ったその「ブレーメン講演」において、単純に人間の「いのち」の命題を捨象し続けている点である。
これは、ほとんど悪魔的な所業を知っている人間が、「悪意のある威力」を伝達する時にしか発しない、特異な言論であり、私はこれまでこのような人物を一人も知らない。
反省すべき内省の思索期間は無かったのか?
何故、反省する時間を放棄してまで、ハイデガーはそれほど「テクネー」の命題を先鋭化させたのか?
ハイデガーの思考回路は、単線的であるがゆえに、その意図が読み取り易い。
<世界の真理は、「技術」が開示する→
原子爆弾とは、「技術」の産物である→
原爆投下は、「技術」によって、人間の無化が証明できた最高の形式である→
同じく、アウシュヴィッツでのユダヤ人たちは、人間というよりも、むしろ「物」である→
「物」もやはり、「技術」によって製造、破壊され得る・・・・・・>
「命」を「物」として認識する視座が、果たして聖書に存在したであろうか?
否、それがもしあるとすれば、ソドムとゴモラにおいて他はない。
しかし、実際に20世紀という戦争と殺戮の時代で、地獄よりも凄惨な人命の「根絶」、工業的な「根絶」が生起したのである。
それについて、これほど圧倒的な思索の天才性を見せ続けてきたマルティン・ハイデガーその人が、ナチス政権の腐敗した幹部たちと同じく、忌まわしき単線式の「無化」思考に陥っているのである。
何がこの時代の人間たちの精神を汚染していたのであろうか?
何故、ハイデガーは自分の政治的履歴を「内省」し、「責任を取る」ことをし、より厳密かつ、「愛」の根幹概念とも和解し得る思想を導出できなかったのであろうか?
それとも、ハイデガーにとっては、本当に神など、過去の遺物に過ぎなかったのか?