英国が誇る巨星ウィリアム・ブレイクの重要な預言書『天国と地獄の結婚』を読んだので、これから私なりにこの書を検証する。
これはブレイクが、当時名を馳せていた神秘家であるエマニュエル・スウェデンボリの『天国と地獄』に対する、パロディとして執筆したものであり、原本には挿絵が存在している。
ブレイクの創作スタイルは非常に高次元の領域に達しており、それは「彩飾本」と呼ばれている。
ブレイクの本で重要になるのは、「テクスト」だけでなく、それを補ってあまりある神秘的な「絵」である。
私がまずここで最初に取り上げたいのは、彼の「終末についての予言」である。
「世界が6000年の終わりに火で焼き尽くされるという古来の言い伝えは、私が地獄で聞いたとおり、本当である。
というのも、焔の剣をもつケルビムが、これによって生命の木のみはり番をやめるよう命ぜられるからである。
そして彼が実際にやめると、今は有限で腐敗しているようにみえる万物は、焼き尽くされて無限で神聖に見えるのである」
この箇所であるが、ケルビムについての下りは聖書に存在していない。
つまり、ケルビムが「生命の木のみはり番をやめる」ということが、世界火の原因となっているというような奇説を、私は生まれて初めて知ったのである。
このテクストの直後に、ブレイクは以下のように語っている。
「これは肉体的快楽の向上によって実現する」
ブレイクの本書におけるテーマは、「天国」と「地獄」という一見相反するものが、実は人間存在には双方ともに必要だということに他ならない。
キリスト教における「天国」と「地獄」というディコトミー的な価値観を、ブレイクは「婚姻」させ、その具現化を人間に見出すのである。
「天国」を求める人間は、「地獄」を知っていなければならない。
多忙を極めて生きざるをえない現代人である我々は、ブレイクの表現を借りれば「洞窟に閉じ込められている」。
この閉塞状態を打破するためには、「知覚の浄化」が必要だが、その方法が、sensual enjoyment(肉体的快楽)だというのである。
すなわち、天使と悪魔は「合体」し、互いに一つになって存在が「対立」から「中和」へと変わることによって、人間は再び「楽園」を取り戻せるのだといっている。
このようなわけで、『天国と地獄の結婚』という本は、キリスト教的な二元論的価値観に対する「否! 」の声であると同時に、「善」「悪」、「富めるもの」「貧しきもの」、「多い」「少ない」などといった二項対立関係にある概念の「融合」を試みた本である。
「対立」しているものを「結婚」させるということ――これがブレイクが我々に残した重大なメッセージである。
ここには、どこか仏教に通じる「中庸」の精神の萌芽が見え隠れしている気がしてならない。
なお、本書で興味深いのは彼の「世界の終わり」についての予言でもある。
肉体的快楽の向上によって、世界の終わりが実現するということを述べているが、ブレイクの本書の狙いは肉体的快楽の必要性を主張することでもあるわけだから、結局のところ、彼は「世界を終わらせるために、我々は快楽を求めねばならない」とも受け取れる。
ブレイクは果たして、世界の終末を望んでいたのだろうか。
これは私の直観であるが、彼はそれを望んでいた。
およそ霊性の高い人物に往々にしていえることだが、彼らは共通して、自分たちが生きていた時代を「世の終わりの直前期」であると規定する。
終末論が持つ独特な喚起力は、閉塞感が漂っている社会においては大きな力を持つ。
ブレイクは我々に「快楽」をけしかけているかのように一見見えるが、おそらく彼なら快楽主義者に対しては、「理性」の重要性を説くであろう。
すなわち、彼が真に述べたのは、先述したが、「対立」している諸概念の「結婚」なのである。
どちらかに傾斜することの危険性を彼は唱えたと私は解釈する。
なお、この書にはブレイクが「地獄」で耳にした「諺」が記されている。
その中で最も「怖ろしい」と私が感じた諺を、二つだけ引用しておこう。
「水を愛する者は、川に浸せ」
「監獄は法律の石で建てられ、売春宿は宗教の煉瓦で建てられる」