4+3=7・・・創世日数
4×3=12・・・使徒数
3は聖三位一体の象徴的な数である。
4はユーフラテス川のほとりに縛られていた天使の数である。
4について、これを100倍した400は全世界を意味すると聖書的には解釈されている。
何故4人の天使かといえば、ユーフラテスの川には支流として4河川、すなわち、ピション、ギホン、ヒデケル、ペラトが流れていたからである。
ハイデッガーには「四方域」という存在論的な枠組みがあるが、これには四つのユニットが存在する。
世界とは、数字として表現すると、3よりも、4にむしろ近い。
「4」と「3」、アポカリプスにおいて重要なのはこの数字の「和」と「積」である。
3には神聖な意味がある。
ノアの息子はセム、ハム、ヤペトであり彼らから世界が再創造されたが、やはり「3」。
ちなみに、「3」を二倍して世界の基数「4」とかけると「24」になるが、これは天上のエルサレムに存在するとされる「長老数」である。
この長老数はいうまでもなく、使徒数「12」の二倍である。
12はイスラエルの族長数であり、新しいエルサレムの門の総数であり、エデンに植えられていた命の木が一年間で実らせる「木の実」の回数に他ならない。
「12」には神聖な意味がある。
12の二乗に1000をかけると144000になるが、この数は「最後の審判」で救出するとされている信徒数である。
聖書に登場する全ての数字にはある共通の原則が成立する。
例えば、ノアの洪水は「150日間」続いたが、これは詩篇の総数である。
パトモスのヨハネの手紙の宛先は、エフェソ、スミュルナ、ペルガモン、テュアティラ、サルディス、フィラデルフィア、ラオデキアの教会であるが、これは「7」である。
7は神の側近の天使数である。
同時に、7はアポカリプスに登場する巻物にかけられた封印の数である。
「2」はあらゆるダブルを担う。
アダムとイヴ、カインとアベル、父と子の二格、2は「3」を前提にしている。
聖三位一体数「3」を、以下のように表記せよ。
「3・3・3」。
これをそれぞれ二倍せよ。
「6・6・6」。
これは神聖な数字どころか、QSRNRWN(ネロ)を意味するとされる。
私は以前から、聖書の「数字」には何か隠された意味があると予感してきた。
私がここで書いておきたいのは、聖書特有の固有名詞を抹消可能か、ということである。
例えば、アダムとイヴを「2」と表記し、聖三位一体を「3」、サタンを「666」と表記して、あるテクストを作成してみよ。
それが聖書を来歴に持つということをクリプト化させるのである。
私は洗礼を受けて以来、聖書の読み方において新しいアプローチを探してきた。
神聖なものを、表現しない、という方向性でいく。
神聖なものを開示させないために、明かしえぬ数字の配列でそれを表現する。
「ここは4である。666の頭上に12がある。12は3の輝きを見つめている」(数字変換)
↓
「ここはエデンの園である。蛇の頭上には天上の長老たちが存在する。彼らは聖三位一体の輝きを見つめている」(翻訳)
ノアの洪水期間「150」を、現代を生きる我々の生としてみる。
人間の一生を「75」年とすれば、今、我々が一体詩篇のどの章を熟読すべきかが一目瞭然となる。
私の場合は、上記の比で計算すると、23(年齢)×2=詩篇46章、である。
30歳になれば、60章を、15歳の学生には30章を、すなわち二倍した章を「その年に象徴的に生起する出来事」として把捉する。