「Googleが持つ商業的な性格はしばしば指摘されてきたが、僧院や寺院都市が作るネットワークのように、Googleとはあらゆるタイプの点―回路の組み合わせであり、水平な線の上で対位法をなす。」
「Googleの一つ一つが中央権力を形成するが、それは極化作用と中間からなる中央権力であり、不可欠な調整のための中央権力である。」
「Googleとは横断的存立性の現象であり、ネットワークなのである。」
「系統流、つまり様々な流れを、Googleは、水平線上のあちらこちらにいきわたらせる。」
「Mandragora」
リゾームは従来の植物イメージとは完全に異質である。
リゾームは自ら触手を伸ばして対象を内部に吸収する。
その度ごとにリゾームは成長し、別の大地へ歩行し、新たな対象を探索する。
これは内在平面の脱領土化→再領土化のプロセスと類似している。
リゾームの原型はマンドラゴラの神話的形態にも見出すことが可能であろう。
この絵図は、ドゥルーズの思考フレームを具現化している。
根茎(リゾーム)の拡大のようにあらゆる多様体を連結させる触手を持つ。
そして内臓を持たない器官なき身体として、あらゆる多数の異領域を横断する遊牧機械となっていく・・・。
ドゥルーズとは、哲学を脱領土化する逃走的マンドラゴラである。
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差異と反復 ジル ドゥルーズ (1992/11) 河出書房新社 この商品の詳細を見る |
祝祭というものには、「再開不可能」なものを反復するという明白なパラドックス以外のいかなるパラドックスもない。一回目に、二回目、三回目を加算するというのではなく、第一回目を「n」乗するのだ。このような<力=累乗(ピュイサンス)の関係=比(ラポール)>のもとで、反復は、内化されることによって転倒させられるのである。(p20)(
あるいはまた、モネの最初の睡蓮こそが、他のすべての睡蓮を反復するのである。(p20)
要するに、反復は、その本質からして象徴的なのであって、象徴(サンボル)、見せかけ(シミュラクル)[幻想(ファンタスム)/フロイト、幻像(ファンタスム)/プラトン]は、反復そのものの文字である。象徴のレヴェルと偽装とによって、差異は反復のなかに含まれている。(p42)
反復の真の基体[真に反復されるもの]は、仮面である。(p42)
なるほど、いずれの形式においても、反復とは、概念なき差異のことである。(p50)
ひとは、同時に二回反復するものだ。ただし、それは同じ反復ではない。一回は、横の次元において、機械的かつ物理的に反復し、もう一回は、深さにおいて、見せかけ(シミュラクル)によって、象徴的に反復する。(p430)
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無人島 1953-1968 ジル・ドゥルーズ (2003/08/26) 河出書房新社 この商品の詳細を見る |
したがって、昔の探検家たちに親しいあの問題、「無人島にはどんな生き物が棲んでいるのか」には、ひとつの回答しかないことになる。そこに棲むものは、すでに人間である。が、並みの人間ではない。絶対的に分離され、絶対的に創造的な人間だ。(「無人島の原因と理由」p16)
第二の瞬間は、第一の瞬間の後に続くものではない。第二の瞬間は、他の諸瞬間がみずからの循環を完成させた時にやって来る第一の瞬間の再出現なのだ。第二の起源は、第一の起源より本質的なものになる。(p21)
ノアの箱舟は、地上の唯一の地点、水没していない、円形の聖なる場所に停止し、そこから世界は再開される。それは、島であり山であり、同時に二つのものでもある。島は海に浸かった山になり、山はまだ乾いている島になる。ここには、再創造のなかで捉えられた最初の創造がある。(p21)
再開の理想のうちには、開始そのものに先立つ何かがある。開始を深くするために、開始をやり直し、それを時間のなかへと押しやる必要がある。無人島とは、この太古からのもの、あるいはこの最も深いものの質料である。(p22)
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A Thousand Plateaus (Continuum Impacts) Gilles Deleuze、Felix Guattari 他 (2004/10/14) Continuum International Publishing Group Ltd. この商品の詳細を見る |
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Difference and Repetition (Continuum Impacts) Gilles Deleuze (2004/11/18) Continuum International Publishing Group Ltd. この商品の詳細を見る |
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Nietzsche and Philosophy (Impacts) Gilles Deleuze (2006/03/23) Continuum International Publishing Group Ltd. この商品の詳細を見る |
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哲学とは何か ジル ドゥルーズ、フェリックス ガタリ 他 (1997/10) 河出書房新社 この商品の詳細を見る |

ひとは、思考するときには必ず、他のものへと、何か思考しないものへと、或る獣へと、或る植物へと、或る分子へと、或る粒子へと生成し、それらのものが、思考に回帰し、思考を再始動させる。(p63)
ペリクレスとヴェルディ―フランソワ・シャトレの哲学
『千のプラトー』について
「言語の存在論的基礎」について
操り人形の声―ドゥルーズ・ガタリの明るさと暗さ
造成居住区の午後へ
感覚のブロック
一九六九年出会う―ドゥルーズの文学論をめぐって
子供の情景―痛み・これ・リトルネロ
見えないもののエコロジー〔ほか〕
「人間は不在である、そしてしかし、その時、風景の中にすべてがある。
“L’homme absent mais tout entier dans le paysage.” (p98)
知覚主体は世界を自分の知覚の組織において捉えなおすものである以上に、或いは以前に、あらかじめ(誰のものでもない)知覚として与えられた世界の中に巻き込まれ、その不思議な「無人性」の中に巻き込まれ、その「無人の知覚」の結果として自らを与えられることになるのである。(p102)
われわれが孤独である時、我々は一人になるのではなく、誰でもないものとなり、誰でもないものの「知覚対象」へと広がり、そこにおいて雪崩れ、拡散し、誰であってもよい誰か、言い換えれば、無数の誰かであるような誰かとなるだろう。 「全ては風景の中にある」。(p102)
「風景は見る」、誰でもよい誰か、誰でもない誰かそのものとしての風景が現存し、見る、知覚する……。 (p102)
「私たち」は「風景」であり、「風景」の知覚そのものであり、その無限にあり得る「知覚する風景」の内包の無限にあり得る結果としての同じものであるだろう。(p103)
ここで問題となっているのは「人間」的秩序と「自然」的秩序とが出会い、出会うことによって互いの秩序の緊密性を失い雪崩れる「中間地帯」なのである。(p103)
…すべてはおそらくあの造成居住区の午後に認められる。世界は「人間」を必要としていないという単純な事実が、さしあたり人間にしか与えられていない境界線の場所に現われ、その時逆に、その境界線=風景そのものが、あらゆる組織―秩序が綻び去り「混沌」である風景=知覚対象そのものが、「世界」を結果として要請し「人間」を要請することが認められる。(p117)
「人間は不在だ、そしてしかし、その時、すべては風景の中にある」。おそらくは「無人」の場所へと赴き、絶えず赴き続け、そこに滞留し続けることが肝要なのだ。造成居住区の午後、或いは列車の窓の外に一瞬現われる「無人」の場所、或いは「無人の部屋」……その広大に看過された場所に滞在し続けること。なぜならそれこどが長い間にわたって我々が怯えにおいて抑圧し、隠蔽し、汚辱の中に遺棄し続けてきたものたちの場所であるだろうからであり、或いは端的に唯物論的所与としての奇妙な処刑場であると同時に「生」の場所に他ならないからである。」(『哲学とは何か』)(p116)
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ドゥルーズ―存在の喧騒 アラン バディウ (1998/02) 河出書房新社 この商品の詳細を見る |
ドゥルーズ―存在の喧騒
[原書名:DELEUZE〈Badiou, Alain〉 ]
ISBN:9784309242033 (4309242030)
163p 19cm(B6)
河出書房新社 (1998-02-25出版)
バディウ,アラン【著】〈Badiou,Alain〉・鈴木 創士【訳】
[B6 判] NDC分類:135.5 販売価:2,520(税込) (本体価:2,400)
とても遠くから!とても近くから!
どのドゥルーズなのか?
「存在」の一義性と名前の多数性
方法
潜在的なもの
時間と真理
永却回帰と偶然
外と襞
ある特異性